創造する力
【新感覚】感性のひと押し!押すたび"らしさ"花咲くスティック・スタンプ「ペタロ」
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FOR GOOD
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2025/10/12 17:35
PETALO誕生の物語
皆さまおはようございます
たくさんの方に支えていただき、無事にDAY 2を終え、25%のところまで来ました!
本当に本当にありがとうございます!!!
今回の挑戦はfor Good!の事務局のご支援なしで「じぶん」で頑張る=全ご寄付が活動に向けて届くというスタイルで挑戦しております。とはいえ、for goodさん、担当がついて手厚く支援してくださいます(涙)。とっても丁寧に伴奏してくださるのでわからないことや不安がある時は常にLINEで相談して、勇気みなぎるfeedbackをくださいます。初めての挑戦の場としてfor Good!さんのプラットフォームを選んでよかった。。。
最終の審査の際に「クラウドファンディングは「スタートダッシュ」がとても重要です。公開してから1週間で30%を達成できると、目標達成の確率が高まると言われています。」というアドバイスもあり、クラウドファンディング経験者も皆口を揃えてそのことをアドバイスくださるので、この1週間でなんとか30%の210万超えを目指してお願いに走っております!!!あと30万ほどです!!!
DAY 3もどうかご支援、拡散のお力添え、よろしくお願いいたします!
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今日はPETALOが
そもそもどこから始まったのかのお話を少しシェアさせてください。

トップページにも少し触れていますが、実はうんとうんと遡って息子が3歳の頃、幼稚園の年少さんから年中さんになる頃でした。
常になんでもお絵描きをして作っていた息子が、じわじわと人前でお絵描きをするのを控えていくようになっていくようになったのです。
息子は「めばえ幼稚園」という3000坪の森の中で、子どもたちがのびのびと森の妖精のように遊びながら、個性と創造性とをこれでもかと尊重して自由に穏やかにすくすくのびのび育っていく、日本一素晴らしいと心底慕っている幼稚園に1歳から通っていたのですが、そんな環境の中でも、彼は「描けなく」なっていったんです。
息子の中で、一体何が起きているんだ?と、息子も母も先生も、
言語化できない彼の「不安」と優しく向き合う時間の始まりです。

担任の先生が、紙を隠しながら隅っこに小さくコソコソと描く息子の様子を日々見守ってくれていました。そして、「また彼が自分の身長よりもうんとうんと大きな紙に、はみ出すくらい大きく描けるようになるまで温かく見守りましょう!」とおっしゃってくださり、そこから「安心・安全」提供担当としての伴走が始まりました。
先生がしてくれたのは、ただだたシンプルに彼のいいところを見つけて、その良いところが小さく誰かの役に立ち喜んでもらえる機会の種まきです。
「彼は人のいいところを見つけて、自分のことのように喜んで口に出して伝えるのがとても自然で上手だから、他の子も彼に言われると自信がつくみたいです。彼を良いところ探しは彼の最高の長所です」など。
そしてそうした「小さなできる」を見つけては一緒にその瞬間に出会った時にそれを心底リスペクトしていることを彼に伝える。という繰り返しです。
彼が再び環境に安心安全を見出し、自分に自信を持てるように「何か」のロックを解除できた頃、自然と描けない彼もいなくなっていました。
お迎えに行ったとある日。
先生が「大坪さん(^ー^)。」と。
息子が森の中を遊び回っている隙にそっと見せてくれた絵は、カレンダーを裏紙に、大きくはみ出して何枚も継ぎ足した蔓延の笑みの「自分」でした。この絵は今でも宝物です。
描くということが1つ、らしく在ることへの『自分で自分を制御する何か』が発動しているか否かのバロメーターであること
「らしさ」を、溢れんばかりに表現して喜びあえるんだ。。。。
そう自分で思えるようになれる、その環境設計の大切さ
そうしたことへの気づきを得た出来事でした。

creative space NHUMAで開催するVISION RETREATでも、同じような現象を大人の皆さまからも感じる場面に出会います。
VISION RETREATは朝から夕方までひたすら「五感」をフル活用して言葉以外の表現でご自身とそして一緒に過ごす方々と「対話-ART DIALOGUE」を繰り返していきます。
はじめる前に「絵心ないんだよね〜」「絵が本当下手で!」「本当センスないんで」などなどあらゆる表現で「苦手」のサインが飛び交います。
描くことに正解なんて存在しないのですが、正解=優秀という教えが私たちをそうさせてしまったのか、音楽や美術、家庭科、体育などの自分の感性や哲学を育んでいく学びと反復の機会がサブ的な存在になっているからでしょうか。背景は様々だと思いますが、本当に多くの大人が人前で「描く」ことに何かしらの抵抗感を持っていらっしゃいます。
NHUMAに遊びにきた元気いっぱいの女の子がいました。庭をそしてアトリエを元気っぱいに走り回って探究し、あらゆる気になる材料を集めて何かを一生懸命に作っていました。きっと創作活動が大好きなんだろうな!そう思い「お絵描き」に誘ったことがありました。するとたちまちに表情がこわばり、涙がポロリ。何かでロックがかかっていたのです。大失敗をしてしまいました。
そして、何を隠そう「私」もその一人。クリエイティブな活動をしている人だからきっと絵が上手いんだろう。そう言われることへのプレッシャーなのか、絵を描くことに自信を持てるまで繰り返してきていない自分への自信のなさなのか、はたまたプライドか。私の中にも「描く」ことへの苦手意識は少なからずとも「ゼロ」ではありません。

自分自身の苦手意識もきっとあるのだと思います。
PETALOは数々のこうした経験から生まれたクリエイティブ・ツールです。

どうしたら、誰もが抵抗感なく「描ける」のか?


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