京都かもがわ
京都にルーツがある数千万人とつながりたい!かもがわ発の新しい音楽レーベルをつくる
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Rikako
2024年5月31日
京都が好きな理由の1つが鴨川です。余白があり、訪れると豊かな気持ちになれる、自然とwell-thinking な状態になれる、京都の中心『コモンズ』で、継承して守られてきた橋達、、つなげる30の思...
kyoworking
2024年5月31日
京都のステキな風景と音をずっと残してください
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「かもがわミュージックはみんなのものであってほしい」音楽家・武田真彦さんインタビュー
2024/5/10 11:17
「いつでもどこでもかもがわ沿いを散歩している気分になれる音楽をつくれたら」。そんなかもがわミュージック制作委員会のリクエストに応えて今回の楽曲を制作してくれた音楽家・武田真彦さんに、これまでの活動やかもがわミュージックに込めた想いについて伺いました。
武田 真彦 / Masahiko Takeda
1987年京都生まれ。京都を拠点に活動する音楽家、アーティスト。 同志社大学商学部卒業、Central Saint Martins Couture Tailoring 修了。 家業であった西陣織「大樋の黒共」の廃業を背景に、残された素材・技術・歴史を継いでいく見立てを通じて、 サウンドインスタレーション、パフォーミングアーツ、現代美術、工芸など幅広い領域における作品を制作。 主な作品として、2019年にリリースしたフルアルバム「Mitate」、2020年にKazuomi Eshimaと発表したアルバム「Inheritance For Soundscape」、サウンドインスタレーション作品「CYCLEE」、プロダクト作品「Synclee」がある。 2023年、香港メディアアートアワード FUTURE TENSE において、「CYCLEE」が BEST POPULARITY AWARD 最優秀賞を受賞。
◆クライアントの思いを社会にどう落とし込むのか?
KM)まずは経歴について教えてください。
T)大学卒業まではずっと京都で過ごし、卒業後すぐには就職せず、約1年間ヨーロッパに旅に出ました。帰国後は丸太町にあるナイトクラブで働き、本格的に音楽制作やイベント企画に関わるようになりました。その後、地域おこし協力隊に3年間従事した後、大阪で空間の総合プロデュースを行う会社に就職しました。空間設計のプランナーとして、「クライアントの思いを社会にどう落とし込むのか?」を考える楽しい仕事でした。コロナ禍をきっかけに京都に戻り、現職である株式会社マガザンに転職し、地域のアーティストやキュレーターと一緒に「クリエイティブを社会実装する」仕事をしています。最近では、京都市×カーボンニュートラルプロジェクトで、「Do you Kyoto?」を社会に落とし込むための音声コンテンツづくりなど、様々なプロジェクトに関わっています。
◆好きを突き詰めるよりも、なぜ嫌い(苦手)なのかを考える方が夢中になれた。
KM)音楽はいつから始めたんですか?
T)実は、元々音楽は嫌いでした(笑)大学生の頃、仲の良い友人がバンドをしていて、メンバーがいないからバンドしないか?と誘いを受けたのがきっかけです。いきなり楽器ができるわけでもないので、ギターやピアノではなく、シンセサイザーを使って、ノイズを出す音作りやドラムマシーンを使ってリズムをつくるようなことから始めました。そこからは独学で音楽を続けていました。大学に入学するまで、勉強はある程度できた方なんですが、音楽と美術だけは苦手で、成績で5が取れなかった。自分は好きや得意を突き詰めるよりも、なぜ嫌い(苦手)なのかを考える方が夢中になれたんだと思います。
◆音楽はあくまでも手段の一つ。
KM)音楽をつくる上で大切にしていることは何ですか?
T)表現すること、何かを掘り下げていくことというのは他人が評価できるものではなく、ましてや人から教えてもらうものでもない。まさに「自由」なんです。音楽が苦手だという気持ちは変わらずあって、自分の興味を深掘りしていった結果、音楽というアウトプットにならないこともあります。オブジェだったり、モノをつくることで表現することもあるので、アウトプットにこだわりがあるわけではありません。音楽はあくまでも手段の一つとして考えています。
◆「自分なりの継承の仕方とは何か?」を考えた。
KM)作品の制作を続ける目的は何ですか?
T)自分のルーツは生まれ育った家業にあります。西陣織の黒帯を製織していたんですが、和装文化の衰退の影響を受け祖父母の代で廃業しました。大学生時代はやりたいことがなかったんですが、小さい頃から西陣織を見てきたこともあり、ものづくりは面白そうという感覚はありました。どうしたら西陣織の製織に関われるのか、祖父母に相談したら、「廃れていくだけの産業だから絶対に働くな」と怒られ、非常にショックだった記憶があります。女性の喪服のための帯という西陣織の中でもニッチなものをつくっていたこともあり、家族はなんとなくネガティブなイメージを持っていました。家族から、残された黒帯を捨てると言われた時は「もったいない。こんな美しいものを捨てないでくれ」と猛反発しました。自分自身は、技術を継承することができなかったんですが、「自分なりの継承の仕方とは何か?」を考え、継承を大胆に見立てていくことで、新しい方法で表現したいと思い、活動を続けています。
◆この音楽を自分だけのものにしたくなくて、色々な人のものであってほしい。
KM)さて、初めて「かもがわミュージック」の話を聞いたとき、ぶっちゃけどう思いましたか?
T)単純に面白いなと感じました。「かもがわっていいよね」っていう感覚は少なからずみんなあると思うので、音楽にしすぎないことを意識しました。想像できるものから一旦離れて、ありのままの音をアーカイブする。色々なシチュエーションに合わせられるように、想像する余白を残す。川の音だけでは飽きてくるので、他の音を絶妙に入れることで意識を別に持っていきながら、川の音っていいなというふうに戻ってこれる。この音楽を自分だけのものにしたくなくて、みんなのものであってほしいという思いから、自分から手放す作業を意識していました。
◆伝統を継承するということは「アーカイブに残すこと」
KM)武田さんの活動と“かもがわミュージック”は何かリンクすることがありましたか?
T)伝統を継承するということは「アーカイブに残すこと」という側面があると考えていて、かもがわの音を切り取ることがまさしくアーカイブ。川のせせらぎ、鳥の鳴き声、穏やかな雰囲気。100年後、200年後の人たちが聞いた時に、当時はこんな音だったのかと感じられるようにしたいと思っています。ある大学教授曰く、今のかもがわが歴史上で1番きれいだそうです。何かを残すには、今を生きる人が頑張らないといけない。新しいアイデアを受け入れていかないといけない。西陣織の歴史を調べているのですが、西陣織も明治維新による東京遷都で一時は衰退の危機に陥ったんですが、ヨーロッパの最新の織物技術を取り入れたことで、今の西陣織に繋がっているという話も残っています。
◆日常の些細なことにちゃんと気付くことができる
KM)どういうときに“かもがわミュージック”を聞いてほしいですか?
T)忙しいときもゆっくりしたいときも、ながら聞きもどんなときでも良くって、これを聞いたときと聞かなかったときで、日常の些細なことにちゃんと気付くことができると思います。日常には色々なノイズがあって、普段はあまり意識しない。でも空間に心地良い音があるだけで感じ方が変わることがあるんです。何か落ち着かないと感じたときに気付ける、そして、内面を知るきっかけにもなると考えています。
◆挑戦したい時も逃げたい時も色々な状態の自分を受け入れてくれる寛容さがある
KM)かもがわってどういう存在ですか?
T)かもがわがない京都を想像するとすごく窮屈だと感じます。水が流れ続けているだけでなく、時間や空気を流し続けていると思いますし、そういったゆらぎを生み出す環境がかもがわらしさだと思います。遠い昔のかもがわでは、茶人が道ゆく人にゲリラ的に野点をしていて、そこで人々は一服していたと聞いたことがあります。また今でも、かもがわで楽器の練習をしたりパフォーマンスをする光景を目にします。自由な雰囲気や、あるいは一種のアナーキーさがかもがわにはあると思うんですよね。一方で、特に何をするわけでもなく佇んでいても良い場所ですよね。かもがわには、挑戦したい時も逃げたい時も色々な状態の自分を受け入れてくれる寛容さがあります。そこに居ていい、ぼーっとしていていい。そう言われている気がします。
いかがでしたでしょうか。
武田さんが制作した御池大橋〜三条大橋の曲は無料公開中。
https://www.youtube.com/watch?v=uZGkOSsJUf8
そしてアルバム完成に向けたクラウドファンディングも現在実施中ですのでぜひご覧ください。
https://for-good.net/project/1000726
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