150年後の日本
命に火をつける舞台『やむにやまれぬ蒼』を次世代に遺したい!




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2025/1/7 21:00
【やむ蒼群像劇】荒井ヒロミの場合

やむ蒼の稽古には、みんなから2ヶ月遅れて参加することになった。自分が所属する劇団の舞台をやりきってから合流すると決めていたからだ、
「荒井ヒロミはいらないから捨てて、私生活も含めて役になりきってね」
劇団の公演では、そう言われていた。だから自分ではなく、公私ともに役になりきって日々を生きた。同じように、やむ蒼の野村望東尼さんも役になりきって臨んだ。つもりだった。
が、その芝居には、捨ててしまった「荒井ヒロミ」らしさは乗らない。やむ蒼の芝居は、役を演じながら剥き出しの自分をそこに重ねていくプロセスを辿る。自分ではない何者かになりきるこれまでの舞台とは全く違う課題に直面することになった。私らしさってなんだ?自問が続いた。
そして2ヶ月遅れて参加したことで、稽古の多くの場面で疎外感を感じる自分に気づいた。みんなが私を迎え入れてくれなかったわけではない。ただ、剥き出しの自分でみんなの中に積極的に入っていく自信がなかった。
みんなの中に入っていこうと頑張ってみたのだけど、自分の中にある課題を越えられた気がしないまま、舞台は本番を迎えた。公演自体は望東尼さんをやりきった。自分の演技がどうだったのかはわからなかったけれど、「よく頑張ったね」と高杉晋作役のヒロさんに言ってもらえたことが嬉しかった。
やむ蒼大交流会では、観劇してくれたお客さんたちからの熱いメッセージを受け取り、「こんなに人の心を動かしたやむ蒼の舞台に私も立てたんだ」ということを実感した。
私自身2023年の公演では客席からやむ蒼を観ていた。最前列で観て、このやむ蒼という作品が放つものに心から感動した。演者のみんなの息遣いや心臓の音が聞こえてくるかのようだった。手の震えや血管の浮き出る様子まで、全てが伝わってくるようで、魂を撃ち抜かれるような感動がそこにあった。
そんな感動を、観に来てくれたお客さんたちにお届けできたと思うと、誇らしい気持ちになれた。
しかし、やむ蒼2024に関して、私の中では大きな心残りがあった。座組のみんなの自分から先に差し出す姿勢を見てきた中で、気づきをもらったのだ。
「私は孤独感や迷いを抱えならがもがいていたけれど、本当の意味で自分から先に与えていただろうか」
振り返ってみると、常に自分に矢印が向いてしまっていたような気がする。そのことを認めた時、涙が止まらなかった。
(これからは、自分から与える人間になろう)
と、自分自身に誓った。
舞台に立つのか、応援に回るのか、お客さんとして再び劇場に足を運ぶのか。今は定まっていないが、2024年にやり残した分まで、やむ蒼2025との関わりの中で燃やし切りたい。
荒井ヒロミ(2024年・野村望東尼役)
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