心臓病の赤ちゃん
心臓病の赤ちゃんを救いたい─ミャンマーから日本へ緊急搬送のための支援プロジェクト
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プロジェクト実行者が支援金を全額受け取れるよう、支援者さまからのシステム利用料(220円+決済手数料5%)により運営しています。
2025/10/27 20:42
信くんの父、犬井よりご支援いただいた皆様へメッセージがございます
クラウドファンディングを応援いただいた皆様へ
この度は息子、信の緊急搬送のためのクラウドファンディングにご協力いただき、誠にありがとうございました。お知り合いの方も、まだ直接お会いしたことのない方々も、本当にたくさんの方々にご支援いただき、なんとか信くんの命を繋げることができました。ご支援いただいた皆様、本当にありがとうございました。
6月27日、ミャンマー、タウンジー街で産まれるも、酸素飽和度が低いことから酸素呼吸器に繋がれた状態で彼の生後0日が始まりました。タウンジーでは新生児の心臓病の診断ができる機器も医師もいないことから、かなり危険な状態でありながらも、ヤンゴンまで搬送しなければ何もできないと医師に告げられました。ヤンゴンまでの道のりは遠く、また昨今の政治不安で夜の移動が難しく、そもそも安全に行けるか、そして生後2日の新生児に本当に耐えられるかなど様々な不安はありましたが、息子を救うにはヤンゴンに行くしかないと、深夜の緊急搬送を断行しました。道中酸素ボンベが少なくなり、深夜一時に途中の街で補給したり、州境を越える検問閉鎖5分前にギリギリで滑り込んだり、酸素飽和度60前後の息子を見ながら祈ることしかできませんでしたが、なんとかヤンゴンまで無事に到着しました。
到着後すぐに専門医に心臓のエコーで診ていただき、到着10分後には完全大血管転移症と診断されました。生まれてからずっと、「小さな病気でありますように」そう祈っていたのも虚しく、想像以上に大きな先天性疾患の診断。「ヤンゴンでは手術ができない。このままでは数日の命なので、緊急的にカテーテルで心臓の壁に穴を開けないといけない(心房中隔裂開術)。成功確率は50%だと思ってください」と告げられ、淡い期待は絶望に代わり、こらえていた涙がどっと溢れました。
それでも、前に進むしかないと、カテーテルを決断し、すぐに準備が始まりました。「できることをやるしかない」そんな思いで、ひたすら祈っていました。数時間後、なんとかカテーテルはうまく行き、40-60とかなり低かった酸素飽和度も70-80ほどに回復。なんとか数日の命が繋がり、数ヶ月の猶予を得ました。しかし、やはりヤンゴンで手術できる病気ではないので、できるだけ早く日本に帰ったほうがいい。と医師に告げられ、すぐに日本へ帰国するための出生届、パスポート、妻のビザや飛行機の手配が始まりました。
しかし翌日、新生児集中治療室の担当医に呼ばれ、「敗血症、DIC、その他合併症の症状が見られ、あまり状況は良くない。それに加え、前日のカテーテル中に痙攣を起こしたようで、低酸素脳症になっているかもしれない。」と告げられ、さらなる絶望が襲いました。しかし、進められる準備は進めるしかないと、引き続き大使館や航空会社とのやりとりを続けました。この過程で、日本側での受け入れ病院や、航空会社の可能性、大使館関連など、本当にたくさんの方々にご連絡、情報提供をいただきました。
たくさんの方々にご協力いただく一方、「こんなにたくさんの方に応援していただいている、でも、これをやっても、息子は日本まで帰れないかもしれない。仮に日本に帰っても、元気になることはないかもしれない。本当に日本に帰るべきなのか。もう良くならないなら、いっそ村に帰って少しの時間でも家族と一緒に過ごしたほうがいいんじゃないか。」肉体的、精神的にも限界に達しており、手を動かしながらも、頭ではそんなことが脳裏をよぎり、諦めてしまいそうな自分もいました。
数日後、新生児手中治療室の担当医から呼ばれ、少しずつですが、息子の容体がよくなってきていると知らされ、少し希望が見えてきました。ふと顔を上げると、応援やお声がけ、情報提供をしてくれる人がこんなにたくさん。皆さんの信じてくださる思いに、祈りに支えられ少しずつ希望が見えてきました。息子に「信」という名前を付け、きっと良くなりと信じ続けることに決めました。担当医からは、今後帰国も視野に入ってくるが、民間航空では不可。新生児集中治療の専門医が同行する医療用チャーターでなければ搬送を許可できない。と言われ、そこからクラウドファンディングをさせていただく流れとなりました。
日本側の病院、先生は受け入れ準備ができており、大使館の出生届やパスポート、妻のビザの手続きも、ヤンゴン日本大使館の皆様が東京本庁まで掛け合ってくださりスムーズに取得でき、信くんの容体も少しずつ改善してきている。わずかな希望は見えてきたものの、いくつかチャーター会社を聞いてみると、どこも2000万円という高額な費用にまた絶望。家族とも話し合い、できることは最後までやろうと、クラウドファンディングを始めさせていただきました。個人的なプロジェクトである上に、2000万円という高額なクラウドファンディング。ミャンマーで毎日亡くなる子供達のことを考えると、本当に自分の子供一人にこのお金を使うことが正しいのか。いろんな葛藤もありながらも、たくさんの方々に背中を押していただき、スタートすることになりました。
「本当にこんな額が集まるんだろうか。」不安いっぱいで始まったのも束の間、スタート直後から数百人、数日で数千人、目標達成まであっという間に集まってきました。毎分、毎時間、クラウドファンディングのページを開いて、たくさんの方が送ってくださるメッセージに、挫けそうになる心を何度も支えていただきました。希望を抱いては絶望していたジェットコースターのような毎日でしたが、クラウドファンディングがスタートしてから、自分一人で、僕たち家族だけで戦っているんじゃない。こんなにたくさんの方々が、信くんを信じ、祈り、応援してくださっている。細くて、今にも切れそうな信くんの命の糸を、皆さんが手を差し伸べ、切れないように支えてくださる。そんな奇跡のような光景を目にし、涙が止まりませんでした。
あっという間に目標金額に達し、医療チャーター機の会社とも細かい調整が開始。同時に信くんの合併症も日に日に改善し、日本帰国が目前に見えてきました。数日前から調整していたチャーター会社から3700万円という最終見積もりが出てきた時は蒼白になりましたが、なんとかヤンゴンに事務所を置く会社さんに2000万円ちょうどで手配していただけることが決まり、日本帰国が確実なものになりました。皆様にいただいたお金を振り込ませていただき、すぐに3日後の飛行機を手配していただき、そこからヤンゴンの病院と、バンコクの搬送専門医、日本側の大阪市立総合医療センターの細かい調整が始まり、無事に信くんの容態が急変することもなく、無事に出発の日を迎えることができました。
出発の日は朝からタイの医師と、ヤンゴンの医師との打ち合わせで、点滴や酸素、その他医療機器や備品の調整。夕方ごろ救急車でヤンゴン国際空港に搬送、飛行機に乗り込み、台湾経由で関西国際空港まで移動しました。「無事に日本に着きますように」一晩中祈り続け、無事に何事もなく関西空港に到着しました。
そこからはあっという間で、飛行機を降りてすぐ救急車に乗り込み、大阪市立総合医療センターまで1時間、到着後すぐに新生児集中治療室まで運ばれていきました。あっという間の出来事で、集中治療室の扉の前で信くんを見送り、生まれてから数週間の緊張や葛藤が夢だったかのように、ただただ病室の前で呆然としていました。数分後、産後すぐからオンラインでサポートいただいていた大阪市立総合医療センターの杉山先生に「ここからは任せてください。」そう言っていただき、「やっと、日本に帰って来られたんだ。信くんはこれで大丈夫なんだ」そう思うことができました。
タウンジーで生まれて大阪に来るまで、色んな困難にぶつかり、何度も諦めそうになりましたが、クラウドファンディングを通して皆さんに応援いただき、数千人の方々に「信じてるよ」と、お声がけいただいたことで、心を強く持つことができました。また、日本に帰るという、当初は不可能と思えた決断も、皆さんにご支援いただいたおかげで、一番大きなハードルとなっていた医療用チャーターも実現することができました。本当にたくさんの方々に支えられ、応援いただき、ここまで命を繋ぐことができました。何度も繰り返しにはなりますが、本当に、本当にありがとうございました。
日本に帰国後は、ヤンゴンで空けた心臓の穴が小さくなり酸素が低下しているということで、応急的に2回目の心房中隔裂開術を行い、経過観察をしながら1回目の手術(シャント手術)に挑みました。一度目の手術の術後経過もよく、その後一時退院し、1ヶ月ほど京都の実家で暮らしました。生まれてからずっと病室にいた信くんと、初めて一緒に暮らすことができ、幸せいっぱいの時間を過ごすことができました。
1ヶ月後、再入院し、2回目の本手術(スイッチ手術- 9月18日)に挑みました。10時間ほどにも及ぶ手術、病院で行ったり来たり不安でしたが、「たくさんの方々の祈りと応援がきっと信くんにも届いている。きっと手術はうまく行き、元気に帰ってくる。」そう信じて待っていました。結果、二度目の手術もうまく行き、特に術後すぐに合併症の症状も見られず、集中治療室に1週間、一般病棟で2週間ほど経過観察し、9月9日に退院することができました。現在は家で療養しながら、2週間に一回の外来に通っています。今後は年末にカテーテル検査を行い、術後の合併症などの状態を確認し、そこで特に異常がなければ、普通の生活が送れるだろうと医師からは説明されています。
本当にたくさんの方々にお祈りいただき、応援いただき、サポートいただいたことでこの3ヶ月超の遠く長い旅路を超えることができました。これから、まだ険しい道のりが待っているかもしれませんが、皆さんにいただいた「信」という名前の通り、私たち家族も息子を「信じ」、そして信くん自身も、どんな困難にぶつかろうと、自分を「信じ」生きていければと思います。ここまで応援いただいた皆様、改めまして本当にありがとうございました。また、成長の過程で皆様にご報告させていただければ幸いです。
父 犬井智朗
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