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みんなの応援コメント
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2026/5/2 20:51
新作始動!
YouTubeの漫画小説の連載が完結。達成感と充足感。そして、感動。でも、それより先にいいねとコメントしてくれた人たちへの「感謝」の気持ちが湧き起こりました。
よく漫画家などが自身の単行本や雑誌の巻末コメントなどで、読者のファンレターや応援のメッセージが作品を生み出す「力」になると書くことがありますが、その気持ちがとてもよくわかりました。
「ファン」と呼ぶのもおこがましい話ですが、自分の作品を好きでいてくれる人の存在が大きなモチベーションになることは間違いありません。
それと同時に、作品が一つ完結したくらいで浮かれてられない、とも思いました。僕は全然「凡人」ですが、世の中には天才と呼ばれるような人たちがいます。その定義はまちまちのようですが、重要な条件として「作品群を残す」というのは挙げられるのではないでしょうか。
天才というか、後世に名と影響力を残す文豪や芸術家は大抵の場合「多作」ですし、科学者や研究者などの仕事においては「体系的・重層的」であることが多いものです。作品の系統が、取り留めもなく散らばっている、というようなことはあまりないように思います。
その作家やクリエイターが「最高傑作」という言葉に値する仕事をするためには、まずは「多作」であることを条件として定義づけられますが、それだけでなく「体系的・重層的」な作品群であることが必須で、要するにはそれはルーティンワークを拒絶していなければ成し得ません。
同じようなテイストとモチーフの作品を、まるでジャケットを着替えるように次々と作り続ける表現者もいるかもしれませんが、それらは厳密にいうと「焼き直し」であって「作品群」ではありません。
作家やクリエイターの才能を計る尺度はなくとも、新しいモチーフを獲得して、それまでに培った情報と知識とスキルを総動員し、自らの限界に目標を設定する…そんなことをできる人が「天才」なのだろうと思います。
作品が仕上がったあとに「もしかしたらこれは最高傑作かも」と自覚することはあるかもしれませんが、完成前に「これを最高傑作にするんだ」と公言するような表現者がいたとしたら、その人はきっとニセモノです。
「天才」にとって重要なのは、より質の高い「作品群」を創り続けることであり、最高傑作という言葉は(宣伝用の惹句としては有効でしょうが)、批評する人たちが使う言葉です。「最高傑作」は誰にでも作れるものではないのです。
だから、「最高傑作」というものがあるとするならば、文学や芸術、また他のプロダクツ、それにパフォーマンスにおいても、前提としてその人が作り出した「作品群」が存在しなければなりません。当たり前のことで恐縮ですが、たった一つの作品やプロダクツでは、それがどんなに優れたものであっても「最高」かどうか判断のしようがありません。
そして、「群」と呼ばれるような作品を残す作家やクリエイターはたくさんは存在しないのです。新作、始動します。
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