※現在:ピースボートの事務所があるノークビル( 新宿区高田馬場3丁目13−1)
■はじめに
みなさん、こんにちは! 活動報告をご覧いただきありがとうございます😊
クラファンスタートからたくさんの温かいご支援と応援メッセージをいただき、嬉しい気持ちでいっぱいの毎日です。
今回の活動報告は、共同代表の吉岡達也に聞いた「なぜピースボートは40年以上も高田馬場に事務所を置いているの?」という、ちょっと意外で面白い創設当時のエピソードをお届けします。
■早稲田大学の学生が設立したNGOピースボート
40年以上にわたり世界中の海を航海し続けているピースボートですが、その陸の拠点は長年ここ高田馬場にあります。ご存じの方も多いかと思いますが、1983年に早稲田大学の学生が中心となって「皆んなで船を借りて国際平和交流をしよう」と第1回クルーズが出航しました。
今回のクラウドファンディングを立ち上げるにあたり、
「創設者が早稲田生だから近い高田馬場に事務所を設けたのはわかるけれど、なぜ40年経った今も高田馬場なんだろう?」
「どこか他の地域に事務所を引っ越す案はなかったのかな?」という疑問が浮かびました。
創設者の1人でもある吉岡さんに当時の真相を聞いてみたところ、返ってきたのは納得の理由でした。

※高田馬場の街
■なぜピースボートは40年以上も高田馬場に事務所を置いているの?
吉岡: 「大した理由はないのよ。昔のポスターやビラに載せていた『問い合わせ電話番号』を変えたくなかったから(笑)」
なんと、理由は「電話番号が変わらないエリア内での引っ越し」だったのです。 1983年の立ち上げ当初、お金がなかった当時のスタッフは、ポスター(当時は「チビポス」と呼ばれたA3サイズの一色刷り)の下に電話番号を記載したタコ足を付けたり、ビラを手配りしたりと、自分たちの足と汗で問い合わせを集めていました。

※通称:チビポス!たこ足がとられた後の状態
当時はパソコンもなく、写真植字機(写真の原理を使って文字を印画紙やフィルムに焼き付け印刷用の文字や版下を作る機械)で手作業でビラやポスターの版下を作り、タバコの煙がモクモクの部屋でひたすら電話をかける毎日。早稲田の学生たちやそこに集まった仲間たちが、文字通り「手作り」で船を出していました。
「せっかくポスターのちぎり紙を持って、電話をくれようとしている人のチャンスを消したくない!」
「来年申し込もうと思ってくれている人のために、絶対に電話番号を変えるわけにはいかない!」
そうやって、スタッフが増えるにつれて事務所を移転する際も、同じ電話番号を維持できるエリア内だけで引っ越しを重ねた結果、40年以上変わらず高田馬場に事務所があり続けたのでした。

※当時の事務所の写真
■40年間変わらない熱量と電話かけ
手作業でビラを配り、電話対応に追われていたあの頃。自分たちの足で泥臭く「場」をつくり上げてきた経験は、今でもピースボートの大切なアイデンティティになっています。

※2026/8/31撮影📷現在の電話の問い合わせ窓口も、地球一周に興味がある方の背中を押し続けています。
高田馬場は、今や多様な国籍や文化が自然と混ざり合う温かい街。 手書きのポスターから始まったあの熱量そのままに、今度は「陸版ピースボート」として、この街に誰もが孤立しないあたたかい居場所をつくっていきます。
最後までご覧いただきありがとうございました。
引き続き、温かい応援とSNSでのシェアをよろしくお願いいたします!
まちづくりピースボート 渡邉さゆり