台湾地震の被災者
令和6年台湾地震緊急支援
みんなの応援コメント
Sachilko
2024年5月4日
応援させて頂き、ありがとうございます。 これからも健康に気をつけ顔晴って下さい!
匿名希望
2024年5月4日
よろしくお願いします。
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「涙を流す暇も無かった」台湾地震被災者が語る当時の状況
2024/5/2 12:00
台湾地震緊急支援に対し、あたたかいご支援をありがとうございます。
今回の地震で甚大な被害を受けたタロコ峡谷を視察した際、現地NGO芥菜種會(以下MSM)と共に、現地の方々にインタビューを行いました。今回はアンさん(仮名)の体験をお伝えします。
アンさんへのインタビューの様子
アンさんは、地震発生直後、山にある農地と自宅の状況を確認するため、山へ向かうことを決意します。しかし道中で落石に遭遇します。咄嗟の判断で木の下に隠れ、難を逃れたものの、その後も何度も落石の危険にさらされ、大変な状況だったようです。周囲は石だらけで、足元も滑りやすく、旦那さんは心臓病に加えて難聴を抱えているため特に困難な状況だったと思われます。しかしアンさんは冷静さを保ち、旦那さんを励まし続けながら、安全な場所へと向かいました。
アンさん:夫を引っ張って木の下に隠れたとき、ちょうど石が落ちてきました。石が砕けて両側に落ちていったんです。山を登っているときは運よく石にぶつからなかったけれど、石が落ちてくるのが怖くて、50メートルもない道を何度も立ち止まり、隠れながら進みました。夫はとてもナーバスになっていて、私は夫に「落ち着いて、耳をすまそう」と声をかけました。石は山の上から(自分たちの正面から)落ちてくるので、私たちは石が落ちる音をちゃんと聞かなければならなかったのです。夫が心臓病の発作を起こしたので、私は夫に「大丈夫。ただついてきて」と言いました。目の前には大きな木があって臨時的な避難所になるので、落石がないのを確認してその木のほうに行って隠れました。木の中に隠れながら、子供たちに私たちが無事であることを携帯電話で伝えました。
職員:通信は機能していたのですか。
アンさん:通じました。基地局(携帯電話が直接交信する装置)が近くにあったので。子供たちに「一旦電話はかけてこないで。安全な場所を見つけたら連絡するから」と言いました。ちょうどその時に同じ集落のお姉さんが近くの階段にいるのに気付きました。
職員:彼女はそこに隠れていたのですか。
アンさん:いえ、彼女が動こうと思ったとき地震が起きて、動けなくなったそうです。そのお姉さんの後ろには観光客がいました。私は夫に、自分から離れないように言いました。周りは石だらけでした。夫と安全な場所にたどり着いたとき、まだ余震は大きかったです。お姉さんがついてきているか心配になり、お姉さんの名前を呼び続けていると、遠くから返事が聞こえてきました。その間も地震はずっとあったんです。山上にたどり着いて振り返ったときにはじめて、自分たちがどんな道を歩いてきたかを知りました。その時の私たちは祈るしかありませんでした。今思い出すと、泣きそうになります。でも泣く時間なんてありませんでした。石がどんどん転がり落ちてくるのに、私たちは上に登らなければならなかったから。進もうにも戻ろうにも、道は塞がれていました。息子に電話して心配しないように話しました。お父さんを村にちゃんと連れて帰るから、それまでは神頼みだと。息子たちもお父さんは難聴だからお父さんが心配でした。二、三時間はそこにいましたが、私たちは登り続けることに決めました。下の状況がどうなっているかもわからないから。下山中に土砂崩れが発生すると、私たちは逃げられないのです。
職員:アンさんの集落があるところまで登ったのですか。
アンさん:はい。集落にたどり着いたときにも余震がずっと発生していました。一部の道も崩れて歩けませんでした。崩壊した道を歩いているとき、至る所に細かい棘があって、何度も手に刺さったけど、早く頂上に登りたいという一心で痛みを感じませんでした。道路沿いを歩いていくと岩だらけで、上に登れば上るほど道が歩きづらかったです。やっとたどり着いたと思ったら、家の方がもっと酷い状況でした。家はもうバラバラになっていました。
職員:ご自宅が崩壊していたんですね。
アンさん:はい、全部崩れていました。ここにどうやって私たちは住むんだってパニックになりました。その日の夜、私と夫は自宅ではなく、少し歩いたところにある部落まで行って夜を過ごしました。その日は、向かいに住んでいる同じ集落のお姉さんと一緒に過ごしました。お姉さんが家に戻ってはいけないと言うので、私たちは部落にとどまりました。でも眠れませんでした。
職員:余震が強かったですよね。
アンさん:夜中2時頃に心臓が痛くなって、眠れませんでした。余震も止まらなかったし、その日は30分しか寝れなかったと思います。
職員:その次の日に村に帰ってきたのですか。
アンさん:次の日この村に帰って来ました。夫は村に行かない、自分の家に残るって言ったけど、でもダメだと伝えました。もう家は壊れているから、そこに残るのはダメだって。子どもたちも心配しているから、夫と話し合って、村に降りてきたんです。子どもたちには村に帰るとは言っていませんでした。ただ息子に安全な場所にいなさいとだけ伝えました。子どもたちの安全を私たちは確保できないから。山を降りてる時に救援隊に会いました。救援隊にどこから来たかと聞かれて、私は大禮部落から来たと答えました。救援隊の人は、私たちが自分たちで脱出したことにとても驚いていました。でも私たちはどこでどうやって休むか、全部知っていますから。彼らは私たちのことを報道しようとしましたが、その時はまだ気持ちが落ち着いていなくて、話せないので断りました。
職員:生きていらっしゃるのが何よりです。山の上の家を修理するには、道路の工事を待たないといけないですよね。道路が壊れたままだと建築材料も運べないし。
アンさん:いえ、建築材料は全て籠で運びます。
職員:籠というのは、二つの山の間を紐で繋げて、そこから籠を使って運ぶことですね。
アンさん:その籠には少し亀裂があったけど、お店の人が自分で修理したみたいです。だから家の修理はできると思います。家の状況を確認したいし、早く戻りたいです。だけど地震がどうなるか分からないから・・・
職員:余震が多いですからね。
アンさん:はい。最近雨も降ってたから、前の状況より酷くなるかもしれません。
職員:なるほど。危ないから今は戻らない方がいいです。私たちに出来ることがあればするので、遠慮なく言ってください。もう上山に登らないよう、お父さんにもお伝えください、子供たちが心配しませんように。
アンさんは家に到着したものの、壊れている家を見て絶望したそうです。アンさんは当時を振り返ってこう話します。「一睡も出来なかった。今話していてやっと涙が出てきた。やっと実感してきた。その時は涙を流す暇なんて無かった」
命は助かったものの、アンさん一家はこれからの生活に大きな不安を抱いています。彼女らの今後の生活再建のために、今回のクラウドファンディングでご支援いただいた資金を活用する予定です。
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