【はじめに】
図書出版石風社 代表 福元満治
縁
私は、図書出版・石風社の代表・福元満治です。学生の頃、水俣病問題に関わりました。1970年から73年までの短い期間ですが、50年を経て水俣病研究会著『企業の責任』(通称)の〈増補・新装版〉を出版することになったことに、深い縁を感じます。創業は1981年、スタッフを含め3人の小さな出版社です。代表作は、アフガニスタンで用水路を拓いた中村哲医師の著作です。
水俣病研究会のメンバーは、当時30代の専門家でした
水俣病研究会は、1969年に提訴された「第一次水俣病訴訟」の理論構築のために結成されました。集まったメンバーは、『苦海浄土』を出版したばかりの石牟礼道子さんを除けば、富樫貞夫氏にしても原田正純氏にしても岡本達明氏にしてもまだ30代の医者や研究者でした。連日の調査研究と激論の日々に、倒れるものが出るほどの熱い研究会でした。
「安全確保義務」を企業と行政の倫理に
連日の議論の末、メンバーが辿り着いたのは、加害企業チッソの「資本の論理」に対する、「安全性の論理」です。危険物を扱う企業には「安全確保義務」があり、行政にはその監督義務がある、という明明白白な論理です。その論理と義務を再確認し倫理として実践することが、水俣病事件が残した未来への教訓です。
なぜ〈増補・新装版〉か? 現在の視点からの「解題」
「企業の責任」は、初版(1970年)も復刻版(2007年)も非売品でした。以下の2点を踏まえて〈増補・新装版〉を出版することにしました。
1 現在の視点からの綿密な「解題」(有馬澄雄・水俣病研究会代表)と注を付すことで、「水俣病研究」を未来へ向けての施策に活かす。
2 非売品ではなく、あらゆる流通網で購入可能にし、読者に開かれたものにする。
初めてのクラウドファンディング
これまで、クラウドファンディングにトライしようなどとは、考えてもいませんでした。トライしようと考えた理由は、以下の3点です。
1 読者を広げたい。通常の販売網(書店・アマゾン等)を超えて読者を獲得したいと考えました。
2 定価を抑えたい。「企業の責任」は、A5判480頁ハードカバーの小部数の専門書です。通常ですと高定価に設定せざるを得ません。クラウドファンディングの応援を得て、定価を抑えたいと考えました。
3 出版の可能性を広げたい。出版業は、本を店頭に出すまで購読者を確定できないハイリスクな業種です。クラウドファンディングというシステムで、出版前にある程度の読者を獲得できれば、出版界にも新しい未来が開けるのではと考えてトライいたします。
追記 皆さんの声に励まされています。クラウドファンディングが始まって、みなさんの応援と声が届き始めてあらためて感じました。これまでの出版経験では、意外と読者の声を聞くことが少なかったということです。みなさんの応援の声に励まされます。ありがとうございます。
水俣病問題に深く関わる9人の方から
熱い応援メッセージをいただきました
(メッセージは、後半に収録されています)
山下 善寛 ( 水俣病被害市民の会 チッソOB)
半田 隆(水俣病を告発する会)
伊東紀美代(水俣病互助会 事務局)
高峰 武(熊本学園大学特命教授、
元熊本日日新聞記者)
吉永 利夫((一社) 水俣病を語り継ぐ会)
久保田好生(東京・水俣病を告発する会)
実川 悠太(水俣フォーラム)
奥羽 香織((一社)水俣・写真家の眼 事務局)
永野 三智(水俣病センター相思社)
リターンについて
石風社の出版物です
「企業の責任」の他に「水俣病事件と法」(富樫貞夫著)、 「[完全版]石牟礼道子全詩集」、「細部にやどる夢 私と西洋文学」(渡辺京二)、「医者、用水路を拓く」(中村哲)他の石風社の出版物を用意しました。
スケジュール
2024年9月 クラウドファンディング実行委員会立ち上げ
2025年1月 クラウドファンディング告知開始
2025年3月10日 クラウドファンディング終了
2025年2月中旬 出版関連イベント開催予定
2025年3月31日 リターン発送開始
【「企業の責任」の紹介】
防 げ た は ず の 水 俣 病
〈資本の論理に対し安全の論理を対置〉
【企業が危険物を扱う場合、安全確保義務がある】
経済的利益優先以前に、
「安全確保義務」を企業と行政の倫理として定着させる
(富樫貞夫 水俣病研究会前代表)
水俣病研究会は、チッソのように有機合成化学工業を営む企業には高度な安全確保義務が課せられていると考え、その内容を具体的に明らかにした。そのうえで、これらの義務を怠れば、企業はその過失責任を免れないと主張した。実際、水銀を使う製造工程の危険性やそこで生成する化学物質の毒性に関する文献調査、定期的な排水分析をふまえた適正な排水処理、排出後の環境汚染の調査等をきちんと実施すれば、水俣病のような被害を未然に防止することは十分可能だったのである。(略)
また、安全性の考え方は、過失論の再構築という狭い枠を越えて、環境保護における予防原則とどう結びつけるかも重要な検討課題であろう。
(「企業の責任」復刻版・解説[熊本学園大学水俣学研究センター,2007〕より)
八幡残滓プール 永年にわたって捨てられた水俣工場の廃棄物が
海を埋め立て巨大な層をなしている
水俣病第一次訴訟(1969〜73)を
共同作業による理論構築で支えた
ユニークな研究成果
市民グループが訴訟理論構築
執筆者は、石牟礼道子・原田正純
岡本達明・富樫貞夫氏ほか
いまから50年以上前の1969年6月、水俣病患者家族は原因企業チッソに賠償を求める訴えを起こしました。その水俣病第一次訴訟を理論面から支援するために結成されたのが、水俣病研究会です。メンバーは、医学、工学、法律学、社会学の研究者やジャーナリストにチッソの社員など、当時は無名の一市民、みな30代の若さです。1年にわたり激しい議論を重ねて原告勝訴のための理論を構築し、その集成として出版したのが『水俣病にたいする企業の責任 ─チッソの不法行為』(通称『企業の責任』)。しかし本書は非売品として頒布され、時間の経過の中で一般の入手が困難になっていました。一度は大学の資料集として復刊されていますが(2007年 非売品)、今回〈増補・新装版〉として、広く一般向けに刊行いたします。
討議を重ねた結果、筆者名なしの共同執筆に
メチル水銀を含む廃液を工場から海へ無処理排出しながら、「過失はなかった」と水俣病第一次訴訟で主張したのがチッソです。当時の民法の常識では、チッソの「過失責任」を立証するのは極めて困難でした。それに対して水俣病研究会は、核実験の安全性についての議論をヒントに、「安全確保義務」という新しい法理論を導き出します。あわせて、企業体質を創業期から詳細に辿り、チッソが「安全確保義務」を怠ることで水俣病を発生させたという「企業の責任」を論証します。各執筆者の草稿は議論を重ねて何度も書き直され、いわば議論のミキサーにかけて練り上げられた理論的な文章です。訴訟の資料としてまとめられた報告書ですが、高校生にも読める明快な文章になっています。
『水俣病にたいする企業の責任 ─チッソの不法行為』 〈増補・新装版〉
水俣病研究会(著)
装丁 毛利一枝
写真 芥川仁
表紙カバー(表) 不知火海・チッソ水俣工場沖から御所浦島を望む(1979撮影)
表紙カバー(裏) ゴチ網を曳く津奈木町福浜の漁師父子(1979撮影)
執筆者
石牟礼道子・岡本達明
富樫貞夫・原田正純 ほか
〈増補・新装版〉解題 有馬澄雄
A5判480頁 ハードカバー
石風社 定価3500円+税
発売予定日 2025年3月20日
復刊ではなく〈増補・新装版〉
さまざまな環境問題の現状に対する問題提起として幅広く読まれるように、初版そのままの復刊ではなく、全面的に文章を組み直し、図表や地図等も新しくトレースし直し、さらには50年の時間を踏まえた綿密な「解題と注」を付して、出版社からの〈増補・新装版〉として企画しました。そのための討議は、1年以上にわたり行われました。すでに「解題」の執筆も終え校正も最終段階で、残された課題は、読者へのアプローチです。
メチル水銀化合物を含んだチッソの廃液タンク
チッソの城下町と言われた水俣市
〈増補・新装版〉刊行にあたって
安全性の考え方をベースに、
それまでの学説・判例を覆す画期的な過失論を展開
現在そして未来への責任と施策を問うた、先駆的な書
有馬 澄雄(水俣病研究会代表)
水俣病研究会は、1970年8月に『水俣病に対する企業の責任-チッソの不法行為』(水俣病研究会著、水俣病を告発する会刊、以下「本書」)を「研究報告第1報」として上梓しました。このたび、解題と注記を付して本書の〈増補・新装版〉を刊行いたします。
本書は、専門を異にする研究者やチッソの労働者など、市民が手弁当で参集して学際的な議論を深め、工場廃水からのメチル水銀中毒(いわゆる水俣病)事件の実態と原因企業チッソの加害責任を詳細に明らかにした報告書です。安全性の考え方をベースに、それまでの学説・判例を覆す画期的な過失論を展開したばかりでなく、企業体質にまで遡ってチッソの責任を明らかにしたことで、第一次訴訟(1969年6月~1973年3月)を理論面で支えました。短期間で達成された渾身の内容は、現在も決して色あせていません。
本書の刊行から半世紀以上が経過した現在も、事件は解決されず混迷の中にあります。汚染による被害の全貌はいまだに明らかにされておらず、補償や救済をめぐって幾多の係争が続いています。その間、水銀その他の化学物質による環境汚染は世界的に深刻さを増し、また日本においては福島第一原発事故にも終わりが見えません。こうした状況に照らしたとき、本書は〈水俣病〉事件のみならず、幅広く環境問題について現在そして未来への責任と施策を問うた、先駆的な書であるといえます。
本書は2007年に熊本学園大学水俣学研究センターから〈復刻版〉が発行され、研究等に活用されています。今回の〈増補・新装版〉では、初版本の刊行後に判明した情報を注記として補足し、解題で水俣病研究会の活動と本書成立の経緯を記録しました。初版から54年後の読者の皆様に、多様な視点、幅広い関心から読み解いていただき、本書〈増補・新装版〉が広範に活用されることを願っています。
煤煙にかすむチッソ水俣工場
【応援メッセージ】
〈水俣病〉問題に関わる方々9人からの推薦文(抜粋)
(全文は、文末に収録してあります)
山下 善寛 ( 水俣病被害市民の会 チッソOB)
半田 隆(水俣病を告発する会)
伊東紀美代(水俣病互助会 事務局)
高峰 武(熊本学園大学特命教授、元熊本日日新聞記者)
吉永 利夫(一般社団法人 水俣病を語り継ぐ会)
久保田好生(東京・水俣病を告発する会)
実川 悠太(水俣フォーラム)
奥羽 香織(一般社団法人 水俣・写真家の眼 事務局)
永野 三智(水俣病センター相思社)
人生の大半を、水俣病の歴史とともに
チッソ在籍中に水銀分析に従事
山下善寛( 水俣病被害市民の会 チッソOB)
水俣病は6 8年が経過したが、今も迷走している 。
因みに私がチッソに入社したのが 1 9 5 6年、退職が20 0 0年で近く8 4歳 になる なんの因縁か? 人生の大半を、水俣病の歴史と共に生きてきた感がある。
それはたまたまチッソ在籍中に水俣病の原因物質である水銀分析に従事し、排水から抽出された原因物質のメチル水銀を見せられたこと。安定賃金闘争を経験したこと。水俣病の研究会で『企業の責任』の編集に参加させてもらったこと等からである。
この間 1968年の労働組合の「恥宣言」は 、労働者として、人間としての生き方を教えてもらった。また『企業の責任』の編集に参加させてもらい徹底した議論、資料収集、作業の進め方等を学ばせてもらったことは、何物にも代えがたい経験である。
判決は、水俣病研究会の理論に沿った
市民グループが過失論作り上げる
半田隆(水俣病を告発する会)
私(半田)も弁護団との打ち合わせに告発する会の一員として出席したことがあるが、原告弁護団は 、「毒物・劇物取締法」違反にこだわっていた。私のような法律に疎いものでもこれでは勝てないとすぐに 理解できた。
必然的にわれわれ市民グループが過失論の理論を作り上げなければならないとの結論に至る。そこで、 チッソの社員、告発する会、熊本大学の法学、医学、社会学などの学者や補佐人たちで研究会を組織することにした。この研究会の集いは数十回に及び困難を極めたが迅速に過失論を作り上げた。その集大成がこの『企業の責任』である。さらに「証人喚問」と「見舞金契約」の「公序良俗違反」が付け加えられた。
結局、原告弁護団の毒物劇物取締法違反論は取り下げられ、原告側の法的主張はすべて研究会の理論に添って展開されることになった。証人尋問は延々と続けられたが、結果として裁判所は研究会が主張した理論をなぞるような内容の判決を出した。この判決文から判断すると、研究会が組織されず企業の責任論が作成されなかったとしたら、第1次訴訟は多分勝訴しなかっただろうと思われる。それほどに重要な意味を研究会の成果である『企業の責任』は持ったのである。
「企業の責任」(1970年8月初版)
原告勝訴の原動力になった論理と若いエネルギー
判決は、すべての生命の痛苦と無念を慰謝
伊東 紀美代(水俣病互助会 事務局)
ほんの少し年下だった私は研究会のみなさんが、立派な成熟したおとなと思っていたが、今、思い起こすと、富樫貞夫先生、原田正純先生はじめ研究者、労働者、支援者の多くが30才代であったことに、あらためてびっくりしている。30才代の柔軟さ、自由さ、エネルギーが、チッソの企業体質をあます所なく伝え、安全性の論理、安全確保義務の論理を構築し、「企業の責任」を完成させたと思う。
『企業の責任』は、第一次訴訟、原告勝訴の原動力となった。企業の安全確保義務は、判決にしっかり書き込まれ、チッソは厳しく断罪された。
この判決は、原告のみならず、凄惨な犠牲を強いられたすべての人々、すべての生命の痛苦と無念を慰謝するものになったと思う。
“3度目の発刊” 68年目の「否」
「安全確保義務論」の確立
高峰 武 (熊本学園大学特命教授、元熊本日日新聞記者)
言葉が適切かどうか、ブラックユーモアめいた例えがある。水俣病事件は人類が初めて経験した巨大な環境破壊、健康破壊事件だが、そのことを強調すればするほど、チッソにとっては有利になる、つまり「予見不可能だった」ことを裏付けてしまうのだ。実際チッソは法廷で「予見不可能」を全面に出してきた。これに対して、富樫貞夫氏(熊本大学)らは一つにヒントから「安全確保義務論」へたどりつく。①工場廃棄物の放出は、防御措置をするか無害の確証がある場合にのみ許される②危険性がある廃棄物を放出するのは、地域住民を人体実験に供することにほかならない③危険が実証されるのは地域住民の生命・健康が破壊された時だ―。この結論に至る道筋はスリリングですらある。これまでにない新しい法理論は患者勝訴の大きな力になったが、今、読み返してみても、チッソが実際に行ったことがそのままトレースされており、被害の大きさ、深刻さの前に粛然としてしまう。
研究会を突き動かしたのは、患者家族が置かれた理不尽としかいいようのない現実だった。加えて、犠牲を踏み台にして成長しようとする社会と政治のありようへの強い「否」の意思表示があったように思う。見出しの「“3度目の発刊”の意味」とは、患者家族が置かれた現状と社会、政治のありようが、実は公式確認から68年たつ今も、発生時から相似形のまま連続していることに強い「否」の意味がある、ということである。
事件史の帰るべき原点の一つとして、本書はある。
水俣病事件のバイブル
時を経た今も私の糧
吉永利夫(一般社団法人 水俣病を語り継ぐ会)
20歳だった私は1972年1月20日、西田元工場長の最終尋問を熊本地裁で傍聴し、患者家族が帰水するバスに乗り込んだ。補助席にも回って来た焼酎をグイ飲みし、そのままチッソ水俣工場正門前の「座り込みテント」に転がり込んだ。その日からアッと言う間に52年が過ぎた。
この度再刊される『企業の責任』(1970)は、水俣病を全く理解していなかった私にとって、文字通りバイブルとなった。その後、『企業の責任』の執筆に当たった富樫貞夫、丸山定巳両先生の世話で、『水俣病事件資料集・上下巻』(1996, 水俣病研究会, 葦書房)の編集に関わらせていただいた。熊大の丸山研究室に毎日通い、膨大な資料を乏しい知識で読み取り、国会図書館や芦北漁業協同組合等々への資料収集も経験させていただいた。水俣病事件史の中で一つ一つの資料をどの様に読み解き、何故重要視するのかを一から教わった。この時期の貴重な経験は、時を経た今も私の糧となっている。
「企業の責任」をめぐる認識共有のために
読み通すことが支援学生の試練でもあった
久保田好生(東京・水俣病を告発する会)
1970年に都内の大学生として水俣病の闘いを知りました。錚々たる先達の皆さんが30代ごろに協業で造られたこの非売品書物が1973年に勝訴確定する水俣病第一次訴訟の弁論・立証をリードしたことは著名ですが、当時は、読み通すことが支援学生の試練でもあったような、重たい記憶があります。
半世紀が過ぎ、季刊「水俣支援」誌を編集している現在は、存命の胎児性・小児性患者の皆さんの紹介記事に正確な年齢を記すときなど、いつも本書に頼っています。
判決で責任を断じられた企業(チッソ~JNC)の補償能力よりも、水俣病(不知火海に広がったメチル水銀中毒による健康被害)の方が遥かに深く広いことが、今あらためて明らかになってきました。ついては2004年の関西訴訟最高裁判決で確定した「水俣病にたいする国・行政の責任」も、詳細に問い続けねばなりません。そのためにも、「企業の責任」をめぐる認識を、まずこの書物によって共有することから始めねばと考えます。
人間として在り得た時代の証
本書の論理は、提訴が早かった新潟で使われて判例となった
実川悠太(水俣フォーラム)
もちろん本書が水俣病関係者でなく世間から注目されたのは、チッソの過失を具体的に明らかにした点である。チッソの操業が何らかの法令に違反していたわけではない。故意または過失が存在しなければ民法709条は適用されない。ではどこにチッソの過失があったのか。当時、不法行為における過失が何かの義務違反であることまでは判っていた。この事件の事実に即して、それが安全管理義務違反であると究明したのである。本書の論理は坂東克彦弁護士を通じて、提訴が早かった新潟で使われて判例となった。法学者の需要も得て、本書は80年代ごろまで古書店で高値を付けた。
しかし、それも遠い昔の話である。判例や政策変更を求める運動は、その限りの年月で色あせる。本書の一番の価値はそんなところにはない。
本書を成さしめた10数人はほとんど見ず知らずの間柄だったという。しかもすでに名のある者は、「苦海浄土」を出したばかりの石牟礼さんぐらいである。その無名の10数人がわずか1年足らずで、この水準のものをまとめあげることができたのはなぜか。本書には彼らを突き動かした患者たちの存在がそこここに顔を出す。これほどの熱量で人を突き動かせる者、突き動かされる者が今もいるのだろうか。人間がまだ人間として在り得た時代があったことを、本書は静かに気付かせてくれるのである。
これからを生きる人たちのための記録
具体的に想像し、考えることができる
奥羽香織(一般社団法人 水俣・写真家の眼 事務局)
最近、つくづく思う。水俣病発生前後の暮らしと、現在のわたしたちの暮らしは大きく異なってしまった。水銀の被害を受けた人がこの世からいなくなっても、経済的豊かさを求め続けて起こった水俣病と被害を受けた人々について、わたしたちは考え続けなければならない。社会や暮らしのあり方を、わたしたちはわたしたち自身に問い続けなければならない。そんな時、重要になってくるのは、「当時の記録」であると思う。そこに生きた人々の痕跡、その時、何を考え、どう行動していたかの記録があれば、わたしたちが考える手がかりとなる。個人情報だからと黒塗りにされてしまっては、わたしやこれからを生きる人たちは水俣病が起こったあの時代を考える「よすが」を失くす。資料や記録はとにかく、できるだけたくさん残しておきたい。そのものの価値を今決めるのではなく、これから生きる人たちのために残したい。
1970年に発行されたこの本は、当時を知る上で、とても有益だ。氏名、生年月日、発病年月日、家業、没年月日など、全てを細かく記載した水俣病認定患者名簿をただただ見ているだけで、「水俣病患者」とひとくくりにされた歴史の総体としての水俣病ではなく、1人ひとり、その暮らしや気持ちがどうであったか、具体的に想像し、考えることができる。そこにその人や家族が見える。だからこそ、当時の人や状況を具体的に立ち上がらせることのできるこの本は貴重だ。
専門家と、非専門家のための水俣病事件の教科書
時には倒れるまで議論をたたかわせたレポート
永野三智(水俣病センター相思社)
当事者があげた声を、個々に受け取り、法学者や社会学者や医者などの専門家だけでなく、チッソの労働者やメディア関係者など一般市民が参加する議論の場が創出され、時には倒れるまで議論をたたかわせてレポートを書いた水俣病研究会の存在は熱く、そしてユニークです。この本は、単なる過去の出来事を記録したものでも、歴史書でもありません。水俣病研究会の存在とともに、私たち一人ひとりが、より良い社会を築くために何をすべきかを考えさせられる、まさに「行動の指針」となる書物です。
水俣病事件は、いまだ根深く私たちの社会に影を落としていることを私たちに突きつけます。環境汚染、企業の社会的責任、そして何より、人々の健康と命に対する脅威。これらの問題は、残念ながら、現代社会においても普遍的な課題として残されています。
この本は、単に水俣病という歴史的な出来事を記録したものではありません。この本をクラウドファンディングで復刻する試みは、単に一冊の本を世に出すというだけでなく、より広範な層に水俣病問題への関心を呼び起こし、議論を深めるきっかけとなるでしょう。
【本書推薦文の全文】
人生の大半を、水俣病の歴史とともに
山下善寛( 水俣病被害市民の会 チッソOB)
水俣病は6 8年が経過したが、今も迷走している 。
因みに私がチッソに入社したのが 1 9 5 6年、退職が20 0 0年で近く8 4歳 になる なんの因縁か? 人生の大半を、水俣病の歴史と共に生きてきた感がある。
それはたまたまチッソ在籍中に水俣病の原因物質である水銀分析に従事し、排水から抽出された原因物質のメチル水銀を見せられたこと。安定賃金闘争を経験したこと。水俣病の研究会で『企業の責任』の編集に参加させてもらったこと等からである。
この間 1968年の労働組合の「恥宣言」は 、労働者として、人間としての生き方を教えてもらった。また『企業の責任』の編集に参加させてもらい徹底した議論、資料収集、作業の進め方等を学ばせてもらったことは、何物にも代えがたい経験である。
ただこの間、今も続く裁判、自らの行政不服審査請求等の闘いを経験し、チッソの 「見舞金契約」が裁判で公序良俗違反となったことに匹敵、否それ以上と思うのが、世間を騙した「サイクレータ」事件である。これは、「チッソの企業体質」を代表する悪事で、初版に「サイクレータは、水銀の除去施設ではなかったこと」が、新潟の裁判で明らかにされていたこと等、それなりに記載はされている。しかし通産省、熊本県知事、マスコミを巻き込み、社長が排水の入っていない水道水を飲んで見せ、「完璧になった排水処理」と大々的に宣伝。安全を装い漁民・沿岸住民・水俣病患者を騙して「見舞金契約」を結ばせた罪は重大で悪質である。もっと多くの資料、工場新聞等を活用した記述が必要だったのではないか? と、悔やまれてならない。
この他、チッソの排水管理の歴史、八幡残滓プールの構造等について、初版では図面等も含め詳しく記載されているが、その後の裁判における労働者の証言を含め、沿岸住民への被害拡大の分析・問題点、特に八幡残滓プールについては早い時期に、もっと詳しく多くの資料・記述(補強)が必要ではなかったのか? と今に通じる水俣病事件史の中で強く感じている。
幸い、今回冨樫先生の「復刻版解説」に続き、有馬さんたちが「企業の責任」の〈増補・新装版〉を出版されるとのこと、ぜひ協力させていただきたいが、高齢で年金暮らしの私にできることは、推薦文を書きクラウドファンディングの呼びかけをさせて頂くことぐらいである。
今回出版される〈増補・新装版〉の有馬さんの解題と注に期待し、多くの研究者・読者に奨めたい。
判決は、水俣病研究会の理論に沿った
半田 隆(水俣病を告発する会)
困難な水俣病第1次訴訟を勝利に導いたのは「原告患者の強い意志」、「市民運動の拡大による支援」 、「水俣病研究会の研究活動」、「世論の支持」、「水俣病事件を理解する能力を持った裁判官の存在」が 、うまくかみあったからといえる。
中でも水俣病研究会の研究成果『企業の責任』の果たした功績は多大なものがあった。原告弁護団は 訴訟の核心となる過失論を「毒物・劇物取締法違反」と位置付けていたからである。法律は原則として成立から遡及できない。
私(半田)も弁護団との打ち合わせに告発する会の一員として出席したことがあるが、原告弁護団は 、「毒物・劇物取締法」違反にこだわっていた。私のような法律に疎いものでもこれでは勝てないとすぐに 理解できた。
必然的にわれわれ市民グループが過失論の理論を作り上げなければならないとの結論に至る。そこで、 チッソの社員、告発する会、熊本大学の法学、医学、社会学などの学者や補佐人たちで研究会を組織することにした。この研究会の集いは数十回に及び困難を極めたが迅速に過失論を作り上げた。その集大成がこの『企業の責任』である。さらに「証人喚問」と「見舞金契約」の「公序良俗違反」が付け加えられた。
結局、原告弁護団の毒物劇物取締法違反論は取り下げられ、原告側の法的主張はすべて研究会の理論に添って展開されることになった。証人尋問は延々と続けられたが、結果として裁判所は研究会が主張した理論をなぞるような内容の判決を出した。この判決文から判断すると、研究会が組織されず企業の責任論が作成されなかったとしたら、第1次訴訟は多分勝訴しなかっただろうと思われる。それほどに重要な意味を研究会の成果である『企業の責任』は持ったのである。
また、当時起こりつつあった環境汚染の訴訟を支える市民運動の模範的な形を水俣病訴訟は示したと言ってもいいのではないか。
原告勝訴の原動力になった論理と若いエネルギー
伊東 紀美代(水俣病互助会 事務局)
水俣病研究会が発足した頃、水俣に移住して間もなかった私は、岡本達明さん、花田俊雄さん、山下善寛さんたち、チッソ第一組合の方々が、熊本市の水俣病研究会に参加するため、運転者として同行させていただいたことが、何度かあった。議論はいつも真剣で熱く、しかし明るかった。
ほんの少し年下だった私は研究会のみなさんが、立派な成熟したおとなと思っていたが、今、思い起こすと、富樫貞夫先生、原田正純先生はじめ研究者、労働者、支援者の多くが30才代であったことに、あらためてびっくりしている。30才代の柔軟さ、自由さ、エネルギーが、チッソの企業体質をあます所なく伝え、安全性の論理、安全確保義務の論理を構築し、「企業の責任」を完成させたと思う。
「企業の責任」は、第一次訴訟、原告勝訴の原動力となった。企業の安全確保義務は、判決にしっかり書き込まれ、チッソは厳しく断罪された。
この判決は、原告のみならず、凄惨な犠牲を強いられたすべての人々、すべての生命の痛苦と無念を慰謝するものになったと思う。
“3度目の発刊” 68年目の「否」
高峰 武 (熊本学園大学特命教授、元熊本日日新聞記者)
『水俣病にたいする企業の責任-チッソの不法行為』(水俣病研究会著)の新装版が刊行される。
同書は1970年に発刊された後、2007年に熊本学園大学水俣学研究センターによって復刻版が出され、今回が3回目の出版となる。前2点は非売品などで一般向けではなかったが、今回の新装版には現在の水俣病研究会の有馬澄雄代表による解題と注が付けられ、水俣病の歴史や問題点が容易に理解できる内容となっている。
水俣病研究会は、水俣病第一次訴訟を理論面で支えようと、水俣病市民会議の裁判研究班と熊本大学の法文学部(当時)、医学部、理学部の研究者、「水俣病を告発する会」の有志らで構成された自由で論議の厳しい研究会だった。医学の専門家として「多少なりとも役に立つだろう」と構えていた医師の原田正純氏は著書『水俣病』(岩波新書)に書いている。「その自負は冒頭の討論からもろくも崩れ去り」「全体の討論のなかで私の文章はズタズタにされていった」
言葉が適切かどうか、ブラックユーモアめいた例えがある。水俣病事件は人類が初めて経験した巨大な環境破壊、健康破壊事件だが、そのことを強調すればするほど、チッソにとっては有利になる、つまり「予見不可能だった」ことを裏付けてしまうのだ。実際チッソは法廷で「予見不可能」を全面に出してきた。これに対して、富樫貞夫氏(熊本大学)らは一つにヒントから「安全確保義務論」へたどりつく。①工場廃棄物の放出は、防御措置をするか無害の確証がある場合にのみ許される②危険性がある廃棄物を放出するのは、地域住民を人体実験に供することにほかならない③危険が実証されるのは地域住民の生命・健康が破壊された時だ―。この結論に至る道筋はスリリングですらある。これまでにない新しい法理論は患者勝訴の大きな力になったが、今、読み返してみても、チッソが実際に行ったことがそのままトレースされており、被害の大きさ、深刻さの前に粛然としてしまう。
研究会を突き動かしたのは、患者家族が置かれた理不尽としかいいようのない現実だった。加えて、犠牲を踏み台にして成長しようとする社会と政治のありようへの強い「否」の意思表示があったように思う。見出しの「“3度目の発刊”の意味」とは、患者家族が置かれた現状と社会、政治のありようが、実は公式確認から68年たつ今も、発生時から相似形のまま連続していることに強い「否」の意味がある、ということである。
事件史の帰るべき原点の一つとして、本書はある。
水俣病事件のバイブル
吉永利夫(一般社団法人 水俣病を語り継ぐ会)
20歳だった私は1972年1月20日、西田元工場長の最終尋問を熊本地裁で傍聴し、患者家族が帰水するバスに乗り込んだ。補助席にも回って来た焼酎をグイ飲みし、そのままチッソ水俣工場正門前の「座り込みテント」に転がり込んだ。その日からアッと言う間に52年が過ぎた。
この度再刊される『企業の責任』(1970)は、水俣病を全く理解していなかった私にとって、文字通りバイブルとなった。その後、『企業の責任』の執筆に当たった富樫貞夫、丸山定巳両先生の世話で、『水俣病事件資料集・上下巻』(1996, 水俣病研究会, 葦書房)の編集に関わらせていただいた。熊大の丸山研究室に毎日通い、膨大な資料を乏しい知識で読み取り、国会図書館や芦北漁業協同組合等々への資料収集も経験させていただいた。水俣病事件史の中で一つ一つの資料をどの様に読み解き、何故重要視するのかを一から教わった。この時期の貴重な経験は、時を経た今も私の糧となっている。
『企業の責任』は、当時お世話になった有馬、半田そして宮澤さんたちも含め、皆さん30代、40代の気鋭の存在だった故に刊行できた書籍である。内容は書籍と言うよりも「訴状」とも言えるものであり、当時知りうる限りの資料を駆使し、全身全霊をぶつけた論議を重ね、被害者、患者家族の存在を熱く語りながら刊行に漕ぎつけたことは、容易に想像ができる。
そして巻末にある「認定患者名簿」に刻まれた被害者の氏名、住所がそのまま記載されている仕様は、社会に訴えようとする強いエネルギーと共に、チッソに対するこれまた強力な憤りと、昨今の安易な人権意識を失笑する緊張感さえ感じている。
いつの間にか偉そうに「水俣病の講師」になっている私は、いまだに化学にも現代史にも疎く、明らかになりつつある膨大な被害を発生せしめた本質的な理由を、今も理解できていない。
本書が再刊された日には、「第5章 水俣病発生のメカニズム」「第8章 チッソは危険防止のための研究・調査を怠った」は絶対に精読したいと思っている。初版から54年を経て再度刊行される本書を、どうぞ手に取り一読願いたい。そして長期に続く水俣病事件史の一端を、垣間見ていただきたいと思う。
『企業の責任』をめぐる認識共有のために
久保田 好生(東京・水俣病を告発する会)
1970年に都内の大学生として水俣病の闘いを知りました。錚々たる先達の皆さんが30代ごろに協業で造られたこの非売品書物が1973年に勝訴確定する水俣病第一次訴訟の弁論・立証をリードしたことは著名ですが、当時は、読み通すことが支援学生の試練でもあったような、重たい記憶があります。
半世紀が過ぎ、季刊「水俣支援」誌を編集している現在は、存命の胎児性・小児性患者の皆さんの紹介記事に正確な年齢を記すときなど、いつも本書に頼っています。
判決で責任を断じられた企業(チッソ~JNC)の補償能力よりも、水俣病(不知火海に広がったメチル水銀中毒による健康被害)の方が遥かに深く広いことが、今あらためて明らかになってきました。ついては2004年の関西訴訟最高裁判決で確定した「水俣病にたいする国・行政の責任」も、詳細に問い続けねばなりません。そのためにも、「企業の責任」をめぐる認識を、まずこの書物によって共有することから始めねばと考えます。
人間として在り得た時代の証
実川悠太(水俣フォーラム)
70年代から80年代にかけて、不知火水俣病に関するいくつかの争訟の弁護団事務局やその助手を担った。一方でフリー編集者だった仕事柄、この事件に関する書籍や雑誌、映像や展示の制作にかかわったのはもはや数えきれないから、本書にはずいぶん世話になった。アセトアルデヒド製造に至る反応や事件初期の経過などなど。中でも患者の年齢や氏名が確認できるのはこれだけだった。少なくとも岡本達明『水俣病の民衆史』人名索引ができるまでは。
もちろん本書が水俣病関係者でなく世間から注目されたのは、チッソの過失を具体的に明らかにした点である。チッソの操業が何らかの法令に違反していたわけではない。故意または過失が存在しなければ民法709条は適用されない。ではどこにチッソの過失があったのか。当時、不法行為における過失が何かの義務違反であることまでは判っていた。この事件の事実に即して、それが安全管理義務違反であると究明したのである。本書の論理は坂東克彦弁護士を通じて、提訴が早かった新潟で使われて判例となった。法学者の需要も得て、本書は80年代ごろまで古書店で高値を付けた。
しかし、それも遠い昔の話である。判例や政策変更を求める運動は、その限りの年月で色あせる。本書の一番の価値はそんなところにはない。
本書を成さしめた10数人はほとんど見ず知らずの間柄だったという。しかもすでに名のある者は、「苦海浄土」を出したばかりの石牟礼さんぐらいである。その無名の10数人がわずか1年足らずで、この水準のものをまとめあげることができたのはなぜか。本書には彼らを突き動かした患者たちの存在がそこここに顔を出す。これほどの熱量で人を突き動かせる者、突き動かされる者が今もいるのだろうか。人間がまだ人間として在り得た時代があったことを、本書は静かに気付かせてくれるのである。
これからを生きる人たちのための記録
奥羽香織(一般社団法人 水俣・写真家の眼 事務局)
夫の転勤に伴い水俣に来てから11年目になる。暮らしながら学んだ水俣や水俣病のことを市外からいらっしゃる方々に伝える活動を始めて10年程経っただろうか。
わたしは現在、水俣病関連写真の保存と活用を行う、一般社団法人 水俣・写真家の眼にて事務局をしながら、一般社団法人 水俣病を語り継ぐ会のお手伝いとして、水俣フィールドガイドをしたり、講話をしたり、石牟礼道子作品を朗読で伝える活動を行ったりしている。2023年には、水俣市明神のほとりで暮らした大矢ミツ子さんの生涯をモデルにした紙しばい『みつこの詩(うた)』を作った。この紙しばいは、2024年度高橋五山特別賞を受賞し、ここしばらく活動を続けたごほうびをいただいた気がしている。
最近、つくづく思う。水俣病発生前後の暮らしと、現在のわたしたちの暮らしは大きく異なってしまった。水銀の被害を受けた人がこの世からいなくなっても、経済的豊かさを求め続けて起こった水俣病と被害を受けた人々について、わたしたちは考え続けなければならない。社会や暮らしのあり方を、わたしたちはわたしたち自身に問い続けなければならない。そんな時、重要になってくるのは、「当時の記録」であると思う。そこに生きた人々の痕跡、その時、何を考え、どう行動していたかの記録があれば、わたしたちが考える手がかりとなる。個人情報だからと黒塗りにされてしまっては、わたしやこれからを生きる人たちは水俣病が起こったあの時代を考える「よすが」を失くす。資料や記録はとにかく、できるだけたくさん残しておきたい。そのものの価値を今決めるのではなく、これから生きる人たちのために残したい。
1970年に発行されたこの本は、当時を知る上で、とても有益だ。氏名、生年月日、発病年月日、家業、没年月日など、全てを細かく記載した水俣病認定患者名簿をただただ見ているだけで、「水俣病患者」とひとくくりにされた歴史の総体としての水俣病ではなく、1人ひとり、その暮らしや気持ちがどうであったか、具体的に想像し、考えることができる。そこにその人や家族が見える。だからこそ、当時の人や状況を具体的に立ち上がらせることのできるこの本は貴重だ。
2026年には水俣病公式確認から70年になる。被害を受けた人たちから直接話が聞けるのもそう長くないかもしれない。まだやっていないことはたくさんある。急がねばならない。
専門家と、非専門家のための水俣病事件の教科書
永野三智(水俣病センター相思社)
私の手元には今、昭和一桁生まれの漁師が所有していた、1970年発行の『水俣病にたいする企業の責任』があります。
年表のいたるところに、赤や青や黒のペンで線が引かれたり二重丸で印がしてあったりします。赤の線が一番多く、それは主に海の被害や漁民闘争で逮捕された人たち、つまり彼自身の被害です。1958年の「カーバイド密閉炉廃水、八幡を経て水俣河口に流し始める」のところには「不知火海一帯に魚浮く」と書き込みがあります。青の線はチッソの加害、黒の線は行政の加害。1959年の「患者家庭互助会・新日窒、調停案を受諾見舞金契約に調印」のところには「死者30万、生存成人10万、未成人3万」と書き込みがあります。
書き込みや手あかを見ながら、『企業の責任』は彼が経験したことを客観的に見つめたり、未認定患者運動をする中で知識を得たりする教科書だったのではないかと想像します。
当事者があげた声を、個々に受け取り、法学者や社会学者や医者などの専門家だけでなく、チッソの労働者やメディア関係者など一般市民が参加する議論の場が創出され、時には倒れるまで議論をたたかわせてレポートを書いた水俣病研究会の存在は熱く、そしてユニークです。この本は、単なる過去の出来事を記録したものでも、歴史書でもありません。水俣病研究会の存在とともに、私たち一人ひとりが、より良い社会を築くために何をすべきかを考えさせられる、まさに「行動の指針」となる書物です。
水俣病事件は、いまだ根深く私たちの社会に影を落としていることを私たちに突きつけます。環境汚染、企業の社会的責任、そして何より、人々の健康と命に対する脅威。これらの問題は、残念ながら、現代社会においても普遍的な課題として残されています。
この本は、単に水俣病という歴史的な出来事を記録したものではありません。この本をクラウドファンディングで復刻する試みは、単に一冊の本を世に出すというだけでなく、より広範な層に水俣病問題への関心を呼び起こし、議論を深めるきっかけとなるでしょう。
そして、日本中にいるたくさんの被害当事者や、自分は当事者ではないと思い込んでいる人たちのためのものにもなるはずです。
このプロジェクトが成功し、多くの人々の手にこの本が渡ることを心から願っています。
最新の活動レポート
2025.03.10
本日23時59分で終了です。応援ありがとうございました。
本日23時59分で終了です。応援ありがとうございました。1月10日にスタートした、クラウドファンディングが、本日で終了いたします。2ヶ月の長丁場でしたが、皆様の応援で第一次目標を達成し、第2次目...
2025.03.05
本日NHK(福岡・ロクいち)で放映予定。全国NHKプラスで視聴できます。
本日NHK(福岡・ロクいち)で放映(18時半過ぎ)予定です。全国NHKプラスで視聴できます。7分ほどの放映ですが、富樫貞夫先生のインタビューも出ます。ご覧いただければ幸いです。あと5日になりました。セ...
2025.03.04
リターン・熊本県下の高校に「企業の責任」と「核心・〈水俣病〉事件史」を寄贈
リターンとして、熊本県下の高校と、鹿児島県の出水、阿久根の高校図書館に、「企業の責任」と「核心・〈水俣病〉事件史」を寄贈します(計77校)。皆様の応援のおかげで、第一次目標を達成し、第2の目標であ...
みんなの応援コメント
やよい
2025年3月10日
長いこと読みたいと思っていました。応援しています!
石邨善久
2025年3月9日
門司港のグリシェンカフェさんの投稿でこちらの取り組みを知りました。はなはだ微力ではありますが応援させていただきます!
緑青
2025年3月9日
「企業の責任」〈増補・新装版〉が市販されて、現在も続く水俣病問題、あまたの患者・家族・支援者の皆さんの苦しみと闘いが、広く知られますように。応...