ラオスの子どもたち
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フレンズJAPAN
13時間前
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2025/10/22 21:30
【応援メッセージ】イン・ソック君
フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーは、26年前にカンボジアに最初の病院を作りました。当時からその活動で一番大事にしてきたのは、"心のこもったケア"が提供できるスタッフがいる病院を作るということでした。
来院した子どもたちの病気を治すだけではなく、【人を育てる】ということにもつながっていたと最近感じることがあります。幼い時に関わった患者さんが、立派に成人し、フレンズとのかかわりが人生に影響があったと耳にすることがあるのです。今日の応援メッセージをくれたカンボジアのソック君もその一人です。彼からのメッセージを皆さんへもシェアさせてください。
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私の名前はイン・ソックです。5人兄弟の家族で育ち、カンボジアのオッドール・ミアンチェイ州、アンロン・ベン郡、ロム・トン・チャス村に住んでいました。1999年、私が9歳の時、兄弟5人で牛の世話をしに田んぼへ行ったとき、戦争の残骸である地雷を踏んでしまいました。その場で2人が命を落とし、1人は軽症、そして、私ともう一人が最も重傷を負いました。
直ぐにアンコール小児病院(AHC)へ搬送されましたが、当時はひどい悪路で、何時間もかかってしまい、搬送途中でもう一人は亡くなってしまいました。私も病院へ着いた時には、失血によるショック状態で、もう少し到着が遅ければ命はなかったとあとから聞き、驚きました。AHCで脚の治療を受け、5~6ヶ月間入院しました。脚の状態は全く改善せず、両脚を切断せざるを得ない状況でしたが、フレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーが米国ハワイのシュライナーズ病院で私を受け入れてもらえないかと交渉してくれたのです。そして、「切断の必要はない。脚を治して歩行も可能にできるように頑張ろう」と言われました。私と家族は心底喜びました。

シュライナーズ病院では、何度も手術を繰り返し、リハビリを行いました。医師団の献身的な治療を1年間受け、歩行可能となり、カンボジアへ帰国しました。フレンズ・ウィズアウト・ボーダーとAHCとの出会いは本当に幸運だったと実感します。

特に、カンボジアからアメリカ・ハワイまでの搬送中、飛行機内で私をお世話してくださったフレンズ・ウィズアウト・ア・ボーダーの赤尾和美さんとハワイでのサポートをしてくれたガンター・ヒンツ医師、そしてAHCの医師・看護師の皆様、そしてアメリカの全ての医師・看護師の皆様には感謝の気持ちが今でもいっぱいです。その幸運が今、私が妻と子どもとの幸せな家庭を作ることにつながっていると感じています。

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