2025年12月10日 23:59:59まで
紛争の解決
西サハラの若者アクティビストの「叫び」を日本全国に届けたい
みんなの応援コメント
FOR GOOD
プロジェクト実行者が支援金を全額受け取れるよう、支援者さまからのシステム利用料(220円+決済手数料5%)により運営しています。
2025/11/25 16:54
ターレブさんが過ごした日本の日々
ターレブ・アリサーレムさんは、11月2日に成田に到着し、21日に成田からスペインへ帰国の途につきました。その間、怪我も病気もせず、元気に全国を回りました。
ツアーを終えたターレブさんに「日本での印象は」と聞くと、「日本では何もかも非常に良く組織されている。仲間を連れて来て学ばせたいくらい」という答え。そういうターレブさんも時間についてはいつもきっちりしていました。また、「アフリカから遠く離れた国で、西サハラに関心をもってくれる人がこれだけいて、うれしかった」とも。
(写真:雪を見たのは初めてのことだったそうです。札幌にて)

ターレブさんの話は、難民キャンプに生まれ、初めて行ったスペインで「外の世界はなにもかもが違う」とショックを受け、なぜ自分たちは難民で貧しいのか、考えるようになったというところから始まり、自分が活動家をやると決めたのは、難民キャンプで亡くなった祖母や難民キャンプで待ち続ける子どもたち、そして同胞民族への義務だという思いからだと語りました。そして、独立運動は傷ついたアイデンティティを回復する営みであり、決して憎しみや復讐心からやっているのではない、「正義は時の流れによって消されてしまってはならない」と訴えました。
とくにおばあちゃんの話は各地でひとびとの心に響いたようです。1975年の軍事侵攻で難民となり、いつも故郷の家、海、街並み、隣人の話をしてくれ、「いつかみんなで帰るのよ、故郷の海を見るのよ」と言っていたそうです。故郷の家の鍵をもちつづけていたおばあさんは6年前、難民キャンプで、故郷に戻る夢をみながら、亡くなりました。
31才で自伝的な内容を含む西サハラの本「西サハラ〜自由への道」を書いたターレブさん。最終章「独立の日」は、ある朝、朝食を家族でとっていると、ラジオから独立の宣言が聞こえてきて、思わず街頭に出てみんなで喜び合うという「夢」を描いているとのこと。フィクションです、といいつつ、それを書きながら泣いたと話してくれました。
(写真:福岡で、生まれて初めて針を打ってもらいました!)

北海道で入った温泉が大変気に入ったようで、東京でも近くの銭湯に行きました。とてもリラックスしたそうで、いつも忙しいターレブさんは「ぼくにはこういう時間が必要だ」と言っていました。「裸になるのは気にならない?」と聞くと、「あまり人もいなかったし」とあっさり。とにかくとても合理的な性格であるのはわかるので、いろんな思い込みや偏見にとらわれない、自立した自由な精神の持ち主だなと思いました。
滞在中、何でも食べました。初日はいきなりお寿司でしたが、さすがにこれは少ししか食べれませんでした。それからお好み焼き、居酒屋、韓国料理の辛い麺、トルコ料理、ピザ、ハンバーガー、フランス料理、天ぷらなどを食べました。しかし、少食であるため、よくサンドイッチや調理パンを食べました。コーヒーはよく飲んでいました。
スペインへ帰るとすぐに仕事があるそうで、そんな中でも、次はドイツでの講演会が待ち受けているそうです。ターレブさん、また来て下さいね!
(写真:新宿御苑にて)

リターンを選ぶ