こんばんは。事務局の髙木です。今日は最近反省したことを書かせてください。
先日、非常勤講師として母校の中学校で授業をした際、ひとりの生徒に、かなり激しく怒ってしまいました。
きっかけは、その生徒の態度でした。僕の指導に対して、はっきりと悪い態度を返してきた。細かい場面はここには書きませんが、少なくとも僕には、そう見えました。
授業のあと、生徒には「怒りすぎた」と謝りました。そこは間違っていなかったと思います。ただ、謝ったあとも、気持ちはすっきりしませんでした。
残念だという気持ちと、仕方がないという気持ち
怒ることしかできなかった自分が、残念でした。大人として、他にやりようがあったはずです。
その一方で、「仕方がない」とも思っていました。この二つの気持ちが同時にあることが、いちばん居心地が悪かったです。
その生徒は、日頃から将来のことをあまり考えていないように見えました。毎日、毎時間、その場をやり過ごすような態度を繰り返す。こちらから将来や夢の話を向けると、露骨に嫌な顔をする。僕はそこに、「やる気がない」というラベルを貼っていました。
「環境のせい」という結論の危うさ
そのラベルをもとに、僕は考えました。この子がこうなったのは、この子自身が悪いのではなく、周りの環境がそうさせたのではないか。そうとしか思えなかったのです。そして、だからこそ子どもたちの環境を変えることには大きな意味がある、と改めて感じました。
ただ、この結論を書いてみて、少し引っかかるのです。
僕はその子の家庭のことも、友だち関係のことも、これまで何を言われ、何を諦めてきたのかも、ほとんど知りません。授業の中で見えた断片から、「環境のせいだ」と結論づけているだけです。
しかもこの結論は、都合がいい。「環境のせいだ」と考えれば、その子を責めずに済みます。同時に、怒ってしまった自分も「仕方がなかった」ことにできてしまう。
優しい結論に見えて、実は、そこで考えるのをやめるための結論になっていないか。そう思うと、少し怖くなります。
「嫌な顔」の意味
もうひとつ、気になっていることがあります。夢の話をされて嫌な顔をするのは、本当に「やる気がない」からなのか。
夢や将来の話は、持っている子にとっては楽しい話題です。
でも、持てない子や、持つことを諦めた子、持つのが怖い子にとっては、自分の足りなさを突きつけられる話題かもしれません。嫌な顔は、やる気のなさではなく、防御だった可能性もあります。
もちろん、これも僕の想像です。本当のところは、まだわかりません。わかっていないのに、僕はその子に「将来を考えない子」というラベルを貼っていた。そこは、素直に反省すべきところだと、これを書いていて思います。
それでも、環境を変えることには意味がある
それでも、子どもたちの環境を変えることに大きな意味があるという実感は、消えていません。
人は、自分が置かれた場所で、何を期待され、何を諦めさせられてきたかによって、かなり形づくられます。
将来の話を聞かれても、何も思い浮かばない。思い浮かべること自体が、苦痛になる。
そういう子が目の前にいるなら、その子に「もっと考えなさい」と言うより先に、考えてもいい場所、失敗してもいい場所を用意することのほうが、大人の仕事のはずです。
ただ、「環境を変える」と言うとき、その環境の外に自分を置いてはいけないとも思っています。
授業で怒鳴った僕は、その生徒にとって、環境の一部です。「また大人が上から言ってくる」という景色のひとつを、僕は確実につくってしまった。
答えは出ていません
この文章に、立派な結論はありません。
怒ってしまったことは、やはり良くなかった。でも、あの態度に対して何も感じない大人にもなりたくない。その間で、僕はまだ揺れています。
ひとつだけ決めているのは、次にあの生徒と会ったとき、夢の話はしないということです。かわりに、その子がどんな時間を過ごしているのかを、聞いてみたいと思っています。答えてくれるかどうかは、わかりませんが。
#教育 #中学校 #非常勤講師