旅情庵YH復活
長野県木曽町の旅情庵ユースホステル復活!人と人の繋がりを生み出した場を呼び戻す
みんなの応援コメント
akz
2024年7月31日
おうえんしています。がんばれー
鈴木悠大
2024年7月31日
応援しています!
FOR GOOD
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復活という名の初めの一歩
2024/6/16 15:50
はじめまして。
小橋と申します。かつての旅情庵を利用されていた方はきっと、高田さんじゃないの?と首を傾げられるのではないかと想像しています。高田さんは高齢を理由に2015年に旅情庵を閉め、今は一人の心地いい時間を大切にしたいと、一線から引いていらっしゃいます。私がここにいる理由を端的に述べると、小橋は木曽町へ移住し、管理人として旅情庵シェアハウスを運営するものの一員です。
旅情庵、管理人として赴任した当初は、自分たちが思う簡易宿泊所をやればいいさ、と思っていて、全然全然全然ユースホステルのユの字も頭になかったことを白状します。
でも「旅情庵」のことを、地元の人から、ユース時代の元ヘルパーさんやお客さん、ここを今管理している木望農会のメンバーから聞く中で、この場がいかに大切な場だったのか痛感せざるを得ない。極めつけは友人の父が「旅情庵、知ってるよ。沢山のマンガ本。廊下にまで座って談笑する人たち。あそこに通って青春時代を過ごしたよね」と。
私自身旅が好きで、私は自転車で日本全国をめぐったり、アメリカでユースに泊まってメキシコからグランドキャニオンまでを走ったり、若い時期にそのチャレンジを応援してくれた簡易宿泊の形があったことに、旅情庵を「簡易宿泊」として再び幕をあげることの意義を思っています。
妻は若い頃に広島で過ごしたことがあり、旅情庵が広島にあるM.Gユースの初代オーナーの森岡さんから頂いた名前ということに強い関心を抱いたようです。彼女は若い頃の1年を原爆ドームのそばに暮らしました。15分と歩けばつくそこに近代の崩壊を見ながら、思い、感じ、悩む、体験することの、人間的な成長を心の中ではぐくんだのではないでしょうか。
私たちの出発にあたって、この歴史ある物件を任せていただくことに、改めて、ユースホステルって何だろうって調べました。
「人と人の出会い、交流を大切に」
「訪れる旅行者を、実家に帰ってきた息子や娘のように温かく迎えよう」
「息子・娘が、日本全国、世界各国から集まる人々との交友を深め、地域の自然や文化に触れて、旅を通して成長できるよう、旅行者同士が交流できるように会話のきっかけを作り、地域の生な情報を提供しつつ、旅行者と旅行者、旅行者と地域の人々や自然、文化を「つなげる」のがペアレントの役割」
自分たちの子供を育てる中で痛感しているのは、「人は人の中で人になる」。
温かい経験、優しくされた経験、信じてもらえた経験、尊重してもらえた経験。人は人を鏡のように映し、そして成長していきます。
妻が子供の居場所作りを行っている中で、「第三の居場所」という概念が昨今のブームとしてあるのを感じています。ユースホステルって、そもそもが第三の居場所じゃないか。私は協会の理念や考え方を拝読しながら、雷に打たれた気分でした。
家や学校ではない場だからこそ出会えた人やその中で起こる交流、会話を含め、豊かな人となる体験につながるのではないでしょうか。多様な人種や民族、宗教、国籍、そして価値観の相違について、理解を深め、違いを共有し、お互いを尊敬しあう心を育むことがユースの代えがたい価値ではないかと思うとき、それゆえに、かつて旅情庵に通った人々にとって旅情庵が大切な場になってきたのだと、ユースホステル協会の思いを読み解きながら想像しています。
今の人間が躍起になってやらねばやらねばと思うことの多くが、少し前の過去に燦然と輝いて見えます。旅情庵という場を、ユースホステルとして復活させることの意味は、私には自分の子供たちと、私達にかかわってくれる子供たち、若者たちに、少しでも多くの実り豊かな体験を共有できる場にしたいという強い思いから来ています。
この子育てしにくい、人が育ちにくいといわれる現代社会において、自然との体験、人と人のふれあい、温かな思いでもって応援してくれる場を、再び創出したい。そしてユースホステルの素晴らしいところは、その全盛期を過ごした世代、多様で混沌とした時代を明るい思いを抱いて走り抜けてきた人々が、今もなお現役で過ごしているということです。
ユースホステルとしての復活を願う第一の思いが、ここにあります。
「旅情庵」として、復活を出来たらと、切に願い今日のこの報告を締めくくろうかと思います。
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