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2025/5/17 22:40
【株式会社Sunshine塚田晴さんインタビュー】

4月21日福島県二本松市の「ななくさナノブルワリー」にて、メソポタミア・ビールの仕込みに行ってきた際に行ったインタビューを紹介します!(インタビュアー佐藤真紀)
今回、いろいろとお手伝いしていただいている株式会社Sunshineの塚田晴さんは、現在23歳。震災があったときは、9歳・小学校3年生でした。
「終わりのホームルーム中に揺れはじめて、当時小さい地震が頻発していたので今回もすぐ止むかなあと思っていたのですが激しく揺れ続けて物も散乱して、そこで只事じゃないと感じました。校庭に避難したら雪が降ってきたことを覚えています。親が迎えに来てくれて上履きのまま帰りました。幸い住んでいた家に大きな被害はなかったのですが、停電と断水が起こっていました。TVのニュースは津波と原発の報道を伝えていて、両親からも緊迫した空気を感じました。」
その後、一家は神戸の祖父母のもとへ自主避難します。父も一年後に合流し、新しい暮らしが始まりました。 どうして、二本松に戻ってこようと思ったのですか?
「親が、有機農家の大内信一さん(二本松有機農研の前代表)から野菜を買っていて、子どものころから田植えや稲刈りの体験をさせてもらったり畑の一角を借りて家庭菜園を行っていたりしたことがあり、農業が身近だったんです。震災後は、大内さんたちが原発事故によっていろいろ苦労されている話が伝わってきて心を痛めていました。
中学生のころから、漠然と農的な暮らしをしたいと思うようになり、愛農学園という三重にある全寮制の農業高校に進学しました。高校3年生のとき、二本松有機農業研究会のメンバーで家族ぐるみの付き合いがあった近藤恵さんから二本松で新しく作る6haのソーラーシェアリングの下で営農を行う人を探しているということでSunshineに誘っていただき、農業をやりたい・再び福島に関わりたいという夢と合致したため二つ返事で入社を決めました。」
福島に戻って農業をやる中で感じることはありますか?
「戻ってきた当初は、福島からこそ原発や食の安全の問題を発信していかなければという責任を感じていました。今もその思いが全く無いわけではないのですが、最近は質の高い農産物をしっかりと生産して、商品そのものの価値を認めてもらいたいという思いのほうが強いです。」
高齢化と過疎が進む福島の農村で、若い人たちが農的な生き方を実践して頑張っている姿に、日本の未来を感じました。
そして今年9月には、塚田さんをはじめ太陽光発電とともに新しい農業のかたちを追い求める若者たちの挑戦と成長の姿を記録したドキュメンタリー映画『陽なたのファーマーズ』が公開されます!
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