人つなぐビール作り
メソポタミア文明のビールを福島で作りたい!




みんなの応援コメント

MishMish
2025年6月21日
チグリス・ユーフラテスの大地に芽吹いた文明の記憶が、今一杯のビールとして蘇る。 未来に向けて過去を酌み交わす。 そんな皆さまの挑戦に敬意と感謝を込めて、応援させていただきます。
FOR GOOD
プロジェクト実行者が支援金を全額受け取れるよう、支援者さまからのシステム利用料(220円+決済手数料5%)により運営しています。
2025/6/13 12:10
ビール工場は山の中の農家さん!ななくさナノブルワリーを紹介します!

今回、ビールづくりを担当してくださっているななくさナノブルワリーを紹介します。二本松から車で30分くらいの山の中の農家さんの関元弘さん。
実は前職は、農林水産省の役人。大学では、農業工学を専攻。いかに機械化して生産量を上げるかという研究をしていたそうです。しかし、環境世代と言われた時代、環境に調和した農業が気になっていたといいます。大学時代は休学して青年海外協力隊に参加します。「こどものころ、アフリカの飢餓をTVで見て何か手伝いしたいなあと思って。」派遣されたのは、チュニジアの大学で、助手を務めることに。チュニジアといえばかつてPLOの本部があったり、2011年には、「アラブの春」という民主化運動が広がるきっかけになった場所。
「1995年当時は北朝鮮のように、ベンアリ大統領が、毎日TVに出てましたね。2010年のアラブの春で革命が起きてびっくりしましたね。チュニジア人は優しいから。内戦にならなかったのは、彼らの気質なのかな」
「適応力は身につきました。どんなとこ行ってもなじむこと、相手のことを受け入れること、日本はこうだって言わないこと、田舎に来て都会はこうだってわないこと。俺がすごいって思わないで、同じことやってる仲間だってことですね」
脱サラと東日本大震災
そんな関さんは、大学を出ると農林水産省に就職。霞が関で、食品の安全を担当。無登録農薬問題や中国の食品問題、BSE(牛海綿状脳症)に接し、「日本の食は駄目、危険だ。自分でやってやるか」と一念発起。2006年、奥さんと一緒に人事交流でお世話になったことのある二本松への移住を決めます。成長より循環社会を目指し、有機農業を学んだ。仲間を募って東京に出荷するシステムをつくった。そんな矢先に震災が襲います。
「私は、鈍感なんで、ここは、地震そのものの被害はゼロだったし、放射能だって住めないわけじゃない、私は役人時代に食品の安全やっていたので、いろんなリスクのうちでも、放射能は計れるリスクのうちの一つ、ダメなの物はダメだからそうじゃないものを売る。不安な人は出ていったから、残された人間が仕組みを作る。 自分はまだ初めて5年だったので、バイヤーもそれほどいなかったので、経験積んだ農家さんとは違ってゼロからのスタートに近かった。いい勉強になりました。」
ビールというチャレンジ
どうしてビールを始めたのか、まずは関さんが大の酒ずきだということ。官僚をやめてすぐは、造り酒屋で働いていたそうです。「夏は農業やって、冬場に酒を造れば、日本中どこに行っても食っていける」もともと昔から、杜氏は農家さんが多いといいます。2011年3月の東日本大震災がおこり、復興に向けて何かできないかと考え、開墾した畑の土作りのために栽培していた大麦を活かしたビール造ることになります。原材料には、ゆずや柿といった地元で収穫されるフルーツなども有効に活用し100%地元産の発泡酒造りを心がけているそうです。(今回コストの問題もありChalChalは、市販の国産大麦麦芽を使用)
これからの農業
ここに移住して19年たつのですが、人が減っている、お世話になった人もみんな亡くなって、ショックです。地域を保つのが難しい。サンシャイン農園のように、売電してお金が入ってきて、若い人に来てもらって続けるのも農業の形も一つだと思います。でも、自分はそうではなくて、里山は、農業でいえば条件不利地ですが、山には無限の資源があって、タダなんです。昔はみんなそういうの使ってきた。その後近代化され、戦後豊かになって山の資源を使わなくなり、荒れていきます。山は使うと再生するけど使わないと荒れるんです。
自然にしか頼らない。こいつ(自然の資源)を農地に還元して、大きな循環が出来ればロマンがある。環境にやさしいというより、自然と共生した農業を目指しています。
温故知新
最近そんなこともあって大学院で江戸時代の古文書、農書を読んでいます。いろんなことが書いてあるんですよ。これからの農業は、温故知新とアソシエーション(目的を持った緩やかな組織、コミュニティよりはもう少し組織ぽい)が大事です。 今は、市場主義経済の中で、農業ですら機械で一人でできちゃう、農家のコミュニティが弱くなっている。集落がバラバラ、たまに草刈りを手伝うくらいなんです。最先端のソーラシェアリングの傍らで、失われた里山の再生ができたらいいなあと思います。世界の動き、たとえば、リーマンショックがくると 東京の人は路頭に迷ったけど、農家は畑を作ればいいので、打たれ強い。緩衝能力がある。さらに自然のものを使えば,ウクライナで戦争が始まっても肥料を海外から高価で買わなくてもいいのです。そういう生き方を実践していければいいですね」
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