移植と海中旅行実現
「おかん、やっぱり肝臓ちょうだい」母の肝臓を移植し肝硬変と闘いあと10年生きたい
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2026/1/23 12:00
Episode03|倒れた日、世界が反転した日
今年の8月のことでした。
夏休みということもあり、
妹が子どもを連れて帰省するから、「徹哉も帰ってきたら?」と声をかけられ、
関西にある実家に戻っていた時期があります。
そのとき母は、
やけに身体のことを気にしていました。
ご飯食べてる?身体は大丈夫?
お腹、すごく出てない?
太ったんちゃう?
でも私は、
「大丈夫やって」
「心配性やな」
そんな風に流して、
深くは話しませんでした。
それよりも、まだ小さな甥っ子や姪っ子が4人もいて、
「徹哉〜、遊んで〜」と声をかけられ、
一緒に遊んだり、おもちゃを買ってあげたり、
コンビニにお菓子を買いに行ったり。
癒される時間を過ごしていました。
ただ、やたらと息が切れる。
すぐに疲れる。
「歳かな」
「ジムでも行かなあかんな」
そんなことを考えながら、
自宅へ戻りました。
その後も、変わらない日常が続いていましたが、
両親からは心配して、
よく電話がかかってきていたのを覚えています。
そして、祖母の一周忌があるからと、
8月に帰省して間もない頃でしたが、
再び実家に戻りました。
そのときです。
倒れた瞬間のことは、
正直よく覚えていません。
急に立てなくなり、
気分が悪くなって嘔吐し、
血が混じっていたことだけが、
断片的に残っています。
それを見た母が救急車を呼び、
私は救急搬送されました。
初めて乗る救急車。
意識は朧げで、サイレンの音だけが近づいてきた感覚があります。
気がつくと、
夜間救急の診療台の上で、
周囲が慌ただしく動いていました。
医師が母に
「少しお話いいですか」と声をかけたとき、
私は朧げながらも、
「いや、私も聞かせてください」と伝えました。
検査結果の説明が始まりました。
血液数値。
CT画像。
そして、「肝硬変です」という言葉。
さらに淡々と、
この状態になるまで病院には行かなかったのですか?
腹水が溜まり、肺にまで及んでいます。
かなり辛かったはずです、と。
結論から言うと、
肝硬変は末期の状態です。
分類上、最終のカテゴリーになります。
そこから先の記憶は、
ほとんど曖昧です。
救急で運ばれてきた他の患者さんに対応する
足音や、スタッフの声だけが、
やけに響いていたことだけを覚えています。
後に落ち着いて医師と話す中で、
非代償性肝硬変、
チャイルド・ピュー分類のグレードCであること。
線維化した肝臓に治療法はなく、
唯一残された治療が、移植であることを知りました。
テレビやニュースで
情報として見ていた世界が、
突然、現実が目の前に差し出された。
昨日までの当たり前が、
当たり前ではなくなった。
だから、言いたくなかった。
語りたくなかった。
一人で、ひっそり終わりにしたかった。
頭の中がぐちゃぐちゃになりながら、
この日を境に、私の人生は、
確実に別のフェーズに入ったのだと感じています。
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