クラウドファンディング6日目
皆様お一人おひとりのご支援と温かい応援のお言葉から、莫大な活力と前に進む勇気を頂いております。
本日現在で目標の80%を達成。
クラウドファンディングを通じた温かいご支援、心より感謝申し上げます。
本日は、当事者のリアルな声として、「希少疾患と共に歩む」35年の一部をお話しさせてください。いつもの調子でお話しさせていただきますので、少し砕けた表現になることご容赦ください。
1. シルバー・ラッセル症候群のことを本気で考え始めたきっかけ
1991年、1494gで誕生した。
乳児期から入退院を繰り返し、哺乳もせず、ミルクも飲まず、経管栄養。肺炎を繰り返して入退院の繰り返し。毎月のように気管挿管していた。
今みたいにネットもないし、「情報はほとんどなかったからね」――
乳児期のことを親に聞くと毎回この答えが返ってくる。
時は進み、18歳の夏。シルバー・ラッセル症候群の合併症の一つ、側弯症の手術をした。術後の痛みでよく覚えていないが、SpO2(血中酸素飽和度)は70台にまで落ち、容体が急変した。「家族を呼ぶように」「1週間がヤマ」「意識は戻らないかも」。
目が覚めたとき、近くにいた兄にボールを投げる仕草をした。3日も経っているとは知らずに――
挿管していて話せなかったから「高校野球どうなった?」という合図。新聞が用意されていた。さすが、兄弟。よくわかっている。
いまでも、この話になると、親戚中から言われる。「あの時は大変だった。」「急に病院に呼ばれて、大変だったんだよ。」
いま考えれば、シルバー・ラッセル症候群のことを本気で考え始めたきっかけだったかもしれない。それまでは、それを普通だと思っていたから、嫌な思いをしながらも、本気では考えてこなかった。考えてもしょうがないと思っていた。
2.子どもながらに感じていた違和感
保育園の運動会の時、棒のぼりをしていた。
やけに応援の声が大きい――
以来、自分がやることに対して、周囲がざわついていることに気が付き始める。
自分は普通にやっているつもりなのに。
いま考えれば応援されまくって良いじゃん!と思えるが、当時は違っていた。
何か周りと違う――
当たり前だが、学校生活では、背の順はいつも一番前。席替えのくじも選択肢が少ない。学校の水道に手が届かない、給食着はデカすぎる。プールは深すぎていつも浅瀬。そしてすぐにチアノーゼになる。
3.学校では見せなかった壮絶な治療生活
小学校、中学校に上がってからも入退院は繰り返される。風邪をひいては重症化。気づいたら入院していたという方が正しいかもしれない。
当時の病棟の様子やプレイルーム、祖父母や兄は病棟内に入れないから窓越しに会っていた様子、そして医療機器の機械音は、30年近く経ったいまでも克明に覚えている。
いまでは慣れっこだが採血が突然苦手になった時期があった。
毎月通院に行く道中、頭は痛くなり、吐く、そして泣いていた。
毎回ヤクルト2本買ってもらえることを励みに頑張っていた。
家に帰れば、また別の成長ホルモンの注射を打つ。
シルバー・ラッセル症候群は顎が小さいと言われている。私も例外ではなかった。その為、歯列矯正をした。保険適応などの関係もあり都市部の医療機関に通っていた。野球が大好きだったから、「東京ドームが見られる!」。ただ、それだけが楽しみだった。
4. 小さな成功体験を積み重ねることで自信がついていった
それが、自分の場合は野球だった。
小学校の持久走大会や組体操、マーチング演奏、中学校の持久走大会——
すべて"危ないから""頑張るから"ダメ――
今となっては頑張りすぎて限界が分からず気づいたら入院ということもあったから、すべてが分からないわけではないが、当時は全く訳が分からなかった。
決して悪意のない判断で守るための判断であることは、十分理解していた。
だからこそ、言い出しにくい。入院もしていたし。
次第に頑張らない環境を作られる有難さと、やりたい気持ちの葛藤。
これと日々闘っていた。
でも、野球だけは選手ではなくマネージャーという形で周りはやらせてくれた。
この時期があったから、いまがあると本気で思っている。
だから、口癖のようにいうことがある。
「命の危険がない限り、やりたいことをやらせてあげてほしい」。
5.いまだから言えること
確かに身長は低いけど、他一緒だよね。
違うんだよ。そう見られるように頑張ってきた部分もあるんだよ。
6.シルバー・ラッセル症候群への想い
シルバー・ラッセル症候群は発症要因もことなる為、症状も出現度合いも違う。同じ病名でも共感しあえるとは限らない。患者会に入ってもすべての人が期待した情報が得られるとは限らないのが現実。
それでも――
動かなきゃ、その現実は変わらない。
発信しなきゃ、その現実は変わらない。
道を歩いていると「ねぇねぇあの人、大人?」「なんでちっちゃいの?」。内心、興味津々そうだよなぁ、とほほ笑んでいる。一方、見ちゃダメと対応する親もいる。それに地味に傷つく。
35年目の夏――
正直、こんなにもシルバー・ラッセル症候群を社会に働きかけている姿は全く想像していなかった。もしかしたら、私の家族も、友人も、知人も。「あれ、今更どうした?」状態かもしれない…。
でも。
親世代になったからこそ、少し分かるようになった、親から子への想い。
当事者として、いまを希少疾患と共に生きる子どもたちの現状が少しでも良くなってほしいという想い。
希少疾患と共に生きてきた成人当事者。希少疾患と共に"いまを生きる"子どもの保護者。この絶妙な関係性がこのシルバー・ラッセル症候群ネットワークの最大の強み。
だから、いま、進めていきたい。
シルバー・ラッセル症候群ネットワークの新たな航路を拓いていきたい。
7.最後に
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
社会に情報がなく、自分たちで発信していかなくてはいけない現状があります。
制度の谷間にこぼれ落ちてしまう希少疾患だからこそ、皆様からのご支援とこのクラウドファンディングの活動が大きな希望となります。
病気への理解を広げ、支援の輪を作り、これから生まれる子どもたちや家族が孤立しない未来をつくるために。
シルバー・ラッセル症候群ネットワークが動き出すプレーボールが掛かることを信じて――
奇しくも、この活動報告を書いている、いま、甲子園が開幕した。
どうか引き続き、私たちの挑戦を見守っていただけますと幸いです。