いのちが見える世界
障害・性別・国籍、すべての違いを超えて。生命が光に変わる体験シアターを世界に!!
みんなの応援コメント
森川すいめい
2025年1月19日
応援しています!
てるる
2025年1月19日
素敵なプロジェクト!頑張ってくださいね!
お知らせ
FOR GOOD
プロジェクト実行者が支援金を全額受け取れるよう、支援者さまからのシステム利用料(220円+決済手数料5%)により運営しています。
組織開発コンサルタント 石川英明さまから応援コメントを頂きました。
2025/1/6 08:00
クラウドファンディング「障害・性別・国籍、すべての違いを超えて。生命が光に変わる体験シアターを世界に!!」へ、組織開発コンサルタント 石川英明さま から応援コメント頂きました。
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組織開発コンサルタント 石川英明さん
私は「鼓動が光になる体験」(当時はkodouと呼ばれていました)を体験したことがあります。不思議な体験でした。
これは私の想像ですが、松島さんは何かの次元にアクセスしたり、アクセスしたがっている存在なんだろうなと思います。クラファンのページも拝見しましたが「いのちの光のみが見える世界」というのは、一つの次元のように思います。
ある意味では、原始的、原初の、プリミティブな世界。
ある意味では、超えた、高いところの、形而上的な、純粋な世界。
私たちの心の奥底が望んでいる世界。
もしくは、高い意識が望んでいる世界。
私たちが、渇望している理想の世界。
もしくは、懐かしくて安心する世界。
私は組織開発の仕事を専門にしていますが、組織のみんなと対話をしていると"kodouのような場"に出くわす時があります。それはあまり意図的に入り込める場ではなくて、真摯に対話をしていると、ご褒美のように向こうからやってくる場です。
kodouは、逆な感じがしています。いきなりその場がやってくる。そして、その場から感じ取ったものを、人々がそれぞれに表現していく。
丁寧に丁寧に対話して探求して、現実の難しさをかき分けていった先に光にたどり着く。普段はそういう仕事をしているときに、kodouは「光から始まる」ということをしているように、私には感じられます。
私たちは根源的なものに触れると言葉を失ってしまいます。しかし、感じたものをなんとか表現したいと思って、音楽にしたり、踊りにしたり、詩にしたり、物語にしたり、対話したりするのだと思います。
そういう衝動が起こる装置として、kodouがあるのかもしれません。
社会的な正義の装いを着せれば、多様性、ダイバーシティ、包含、インクリュージョン、差別のなさ、格差のなさ・・・そういう目的のためにkodouをやりましょうということになるのだと思いますが、メンバーは「何のためにやるのか分からない」と真摯に吐露しています。
感じたものをどう表現するかは、体験した人に委ねられているということかもしれません。
光とは不思議なものですよね。この相対性の世界において、光の速度だけが絶対的なものです。普通に生活している感覚からは想像もできないものです。神秘的なもの、と言ってもいいかもしれません。
「光に触れてみる」という体験をいろんな人ができるといいな、と思います。
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