150年後の日本
命に火をつける舞台『やむにやまれぬ蒼』を次世代に遺したい!
みんなの応援コメント
ひかりさん
2025年1月12日
応援しています!
さっこ
2025年1月11日
熱い想い、沢山の方に届きます様に。
FOR GOOD
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【やむ蒼群像劇】清水孝益の場合
2025/1/10 20:00
振り返ってみると、座組のなかで「幕末が好き」「日本という国に想い入れがある」といった理由で舞台に立った人は、そこまで多くなかった気がする。
「芝居が好きで、(再び)挑戦したいから」
「前年のやむ蒼を見て、自分も舞台に立ってみたい!と思ったから」
「芝居はやったことがなかったけれど、面白そうだったから」
「なぜかピンときたから」
「自己成長のために」
「ノンバーバルコミュニケーションに興味があったから」
「尊敬する人から声をかけてもらったから」
など、メンバーの参加動機はさまざまだった。興味深いのは、そんなふうに舞台に至るまでの背景がバラバラのメンバーが、不思議なシンクロで集まり、共鳴していったことだ。
僕でいえば、真っ先に浮かぶのは、オーディションに向かうバスにたまたま乗っていたゆっきー(白石加寿さん役)とのご縁だ。会場で隣の席に座ったゆっきーの家は、僕の実家から目と鼻の先だったのである。
桂さんという役と向き合うなかで行き詰まりを感じた時、全く関係のない要件でゆっきーが電話をくれて、ヒントになるようなメッセージを残してくれることが何度もあった。
そもそもでいえば私は、いただいた出演のお誘いを一度は断ろうとしていた。身体の痛みがあり、稽古についていけるかわからなかったからだ。断りの文章を書いている最中、久々の友人が、過去に私がやっていた芝居の記事にコメントをくれた。結構前に書かれたはずの記事だったから、そうそうリアクションなどあるはずがないのに、である。ほかにも後押しのように思える出来事が複数回起こり、断るのが変な感じすらして出演を決めたのだった。
始まりから本番まで、こんな不可思議なことが起こり続けた。そしてそれは、私一人に限ったことではなかった。だから、変な話に聞こえるかもしれないけれど、こう思わざるを得ない。
「やむ蒼は、必要な人に必然の計らいをし続ける、理屈を超えた謎の生命体だ」と。
このプロジェクトを通じて得るものは人それぞれだ。
俳優や歌い手など、表現者として生きていくことを決め、スタートを踏み出したメンバーがいる。
ビジネスで数字よりも人に重きを置くようになり、今まで以上に成果を出して活躍しているメンバーがいる。
やむ蒼を文化に遺すという大志を抱き、主宰として立ち上がった元ちゃん(齋藤元輝)がいる。
しかし、そんなふうに華々しく人生が変わった人ばかりではない。僕自身、やむ蒼出演後に仕事も生活も変わらない自分に対して葛藤があった。誰もが劇的に人生を変えていくわけではない。ただ、「人生観」は確実に変わるだろう。
あるメンバーは、やむ蒼出演前後で以前と変わらない生活をしているが、「人生で今が一番幸せ」と優しい笑顔で言っている。
「ごめんなさい」より「ありがとう」を伝えることが増えたというメンバーもいる。
僕で言えば、桂さんの人生観や大局観に触れられたこと、ノンバーバルコミュニケーションを通じた表現の深まり、日本古来の体の使い方を知れたことなどは非常に大きかった。
現実がガラリとわかりやすく変わらなくても、自分自身の心の捉え方、心象風景が変わることは、それに匹敵する豊かさがあるのではないだろうか。
稽古を通じて直面する課題は一人ひとり違うが、総じてそれぞれの人生で避けてきたものや封印してきたものと向き合うことがほとんどだ。逃げ出したくなる時もあるかもしれない。「飛び込むには覚悟は必要」というのが、僕の感じるところだ。
そんな一筋縄とはいえないやむ蒼なのに、ついその素晴らしさを伝えたくなる。文化に遺ってほしいと心から願ってしまう。それこそが、やむ蒼が不思議な生命体であることの証明なのだろう。
清水孝益(2024年・桂小五郎役)
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