皆さん、こんにちは!ドキュメンタリー写真家の森佑一です。
現在もなおイスラエル軍やイスラエル人入植者による現地パレスチナ人に対する嫌がらせや暴力、家屋破壊などの被害が日夜発生しているヨルダン川西岸南部のマサーフェル・ヤッタ。
そこで長年草の根で支援活動を続けているピースベアラーのイヤール・シャニさんからルポが届きました。最近オランダのメディアが彼らの活動を現地取材し書いたものです。そちらをAIで日本語に翻訳して、一部編集したものをご紹介します。是非ご覧ください。
マサーフェル・ヤッタで深刻化する占領や入植被害に遭っている人々を支援するため、彼らも活動資金を常に必要としています。ピースベアラーのクラウドファンディングサイトへの直接寄付や記事のシェアなどで是非応援よろしくお願いします!

*活動報告に掲載している写真は、自身が2025年2月にマサーフェル・ヤッタで撮影したものです。当オランダのメディアの記事とは関係ございません。以下ルポの原文はこちらをご参照ください。
パレスチナ人を助け、可能なら入植者の活動を妨げるためにヨルダン川西岸へ向かうイスラエル人たち
ルポルタージュ:ヨルダン川西岸
占領下のヨルダン川西岸にあるマサーフェル・ヤッタのパレスチナ人住民に対し、毎週お金や物資を届けている「ピースベアラー」という名のイスラエル人グループがいる。彼らは、ますます土地を拡張しようとする過激な(イスラエル人)入植者たちを嫌悪している。
「彼らはパレスチナ人を追い出し、その土地を自分たちだけのものにしたいのです」
シーラ・カメルマン(マサーフェル・ヤッタより)
2026年6月3日
イスラエルの村メイタルの外れにある駐車場で、57歳のアシ・ショハムが銀色のSUVとともに待っている。車の荷台には米、マカロニ、食用油、クッキー、コーラ、そして古着が積まれている。
そこへ59歳のイヤール・シャニが白いピックアップトラックで到着した。荷台から10個ほどの軽油入りジェリカン(燃料容器)を降ろし、ショハムの車へ積み込んだ。
そして、二人は占領下のヨルダン川西岸南部にあるパレスチナ人集落群、マサーフェル・ヤッタへ向かった。
彼らは約10人からなるピースベアラーの一員であり、毎週2〜3人が現地を訪れ、住民との関係を維持し、できる限り支援している。
道中、ショハムが説明してくれた。
「この地域は1980年代にイスラエルが軍事演習区域として指定した場所です。それ以来、パレスチナ人住民は過激な入植者たちから嫌がらせを受け続けてきました。入植者たちは、住民が軍事演習の妨げになっていると主張しています。
住民たちは法廷で争いましたが、2022年にイスラエル最高裁は軍事区域指定を合法と判断しました。さらに2023年10月7日のハマス攻撃以降、軍や警察の支援を受けた入植者による暴力は、ヨルダン川西岸全域でさらに激化しました」
イスラエル人はこの「射撃区域918」に立ち入るべきではないとされている。
しかしショハムとシャニは納得していない。「ここはパレスチナ人の土地です」
二人は軍や警察に止められた場合、「何も知らなかったふり」をすることにしている。その場合は引き返し、別ルートを試すか別の日に来る。
ショハムは言う。「議論しても意味がありません。入植者たちは政府に後押しされていると感じています。そして残念ながら、その通りなのです」
イスラエルの行方に対する懸念
ショハムはネゲブ砂漠の都市イェルハムに住み、ハイテク企業で働いている。
2020年、彼は週に1日は「心から意味のあること」をしようと決めた。それ以来、毎週マサーフェル・ヤッタを訪れ、住民へお金や物資を届けている。
しかし彼にとって最も重要なのは、「イスラエル人とパレスチナ人がお互いを人間として見続けること」だという。
シャニはメイタル在住で、妻は2年前に亡くなり、息子たちは独立している。
彼は太極拳、柔術、マインドフルネスの講師でもあり、「イスラエルでの過酷な現実に耐えるため」にそれらを活用している。
彼は20年前からマサーフェル・ヤッタを訪れている。最初は活動家グループと共に訪れていたが、その姿勢があまりにも一途で妥協を許さないと感じ、ピースベアラーを立ち上げ、独自に活動をするようになった。ショハムも後にそこへ加わった。
二人はイスラエルの行方、とりわけベンジャミン・ネタニヤフ首相の下で進んでいる方向性に強い危機感を抱いている。また彼らは過激な入植者を嫌悪していた。
ショハムは言う。「彼らは聖書を片手に、何世紀にも渡ってパレスチナ人が暮らしてきた土地に対して独占的な権利を主張しています」
そこにシャニが続ける。「彼らはパレスチナ人を追い出し、その土地を自分たちだけのものにしたいのです。文書で明示されていなくても、それが目的です。そして軍と政府が彼らを支援しています」
ショハムによれば、「彼らは常に威嚇と挑発を行います。しかも武装していて本当に恐ろしい。未成年者が拳銃を持っているのさえ見ます」
シャニは言う。「武器がまるでアイスクリームのように配られているのです」
木の骨組みとブランコ
舗装道路はやがて砂埃の舞う未舗装路へ変わっていった。占領地域に入ると、シャニが突然ブレーキを踏んだ。
丘の上に2メートル四方ほどの木製の骨組みが立ち、その下には人工芝が敷かれている。横には木製のブランコとベンチ。
ショハムが車を降りながら説明してくれた。
「これは前哨地です。入植者たちは戦略的な場所を選びます。そこにまずベンチを置き、次にテントを建てます。そして羊を連れてきて、キャラバンを置きます。その後、旗を立てて住み始めるのです。これは法律違反ですが、彼らは気にしませんし、軍も介入しません」
こうした前哨地は急速な勢いで増えている。特に「C地区」と呼ばれる地域においてである。
C地区とは、1993年のオスロ合意によってイスラエルの完全管理下に置かれたが、将来的にはパレスチナ側へ移管される予定だった地域のことだ。オスロ合意では占領地はA地区・B地区・C地区に分割された。
A地区:パレスチナ自治政府が統治
B地区:パレスチナ自治政府が行政を管轄し、イスラエルが治安を管轄
C地区:イスラエルが全面管理
最終的にはイスラエルが全地域から撤退する構想だったが、その約束は実現しなかった。
イスラエルはC地区で急速に入植地建設を進めた。A地区は飛び地となり、現在では軍や入植者による道路封鎖によって相互接続性を失った孤立した区域となっている。
マサーフェル・ヤッタに入ると、二人はパレスチナ人の友人であり通訳でもある30歳のサレム・アル=アドラと合流した。
彼は数か月前の出来事を語った。
「入植者たちは、マサーフェル・ヤッタへ来ていた唯一の水道管を、自分たちの前哨地へ引き直してしまいました。住民たちは現在、冬に貯めた雨水を使っています。これからどうなるのか、誰にも分かりません」
さらに過激な入植者たちは道路を封鎖し、フェンスを設置して土地を実力で接収しているという。
アル=アドラは新しく設置されたフェンスを指差して言った。「(あれを見て気持ちが)落ち込んでしまう人もいます」
私が「あなたは?」と尋ねると、彼は肩をすくめて「希望を失わないよう努めています」と言うのだった。
そして、ショハムやシャニのようなイスラエル人が訪れてくれることが、その支えになっているという。
羊の群れを混ぜる
アル=アドラによれば、入植者による嫌がらせはますます巧妙になっているという。
「例えば、パレスチナ人の羊の群れに自分たちの羊を混ぜ込み、その後で『全部自分たちの羊だ』と言い出すんです。ロバを連れて家に入り込んだり、果樹園を破壊したりもします」
シャニは言う。「その証拠映像ならいくらでもあります」
衝突はしばしば死者を出していた。3月初旬にはマサーフェル・ヤッタで28歳の男性が入植者に射殺された。その数日前には、さらに(ヨルダン川西岸)北部のナブルス近郊で兄弟二人が射殺された。
記事によれば、2023年10月7日以降、ヨルダン川西岸で1,000人以上のパレスチナ人が死亡した。
ショハムとシャニ自身も入植者から威嚇を受けている。シャニは手を顔の15センチほど前にかざしながら説明した。
「彼らは本当にこのくらい近くまで来ます。ですが、こちらは怒って応対しないよう必死にこらえなければなりません。彼らは事態をエスカレートさせたいのです。そうなれば軍や警察を呼べるからです」
最近、軍の検問所で彼らの車が止められ、アル=アドラだけが連行された。
シャニは振り返る。「私たちは大騒ぎしました。その数時間後、彼は釈放されました」
二人は、自分たちイスラエル人がその場にいたことが彼を守ったのではないかと考えている。だからこそ、「何かしら意味のあることができている」と感じるのだという。
村で緊張が高まった時には、パレスチナ人家族の家に泊まり込むこともある。
活動家という「緩衝材」
私たち一行は小さな村ファヒートを訪れた。
住民たちは修繕が必要な学校を見せ、窓やベンチ、黒板を設置したいという。そこでショハムとシャニは募金集めを検討することにした。
床には寝袋付きのマットレスが3組置かれており、そこには若いイタリア人活動家3人が滞在していた。
アル=アドラが説明してくれた。
「ヨーロッパから来た若い活動家達が数週間から数か月滞在することがあります。彼らの存在もイスラエル人活動家と同じ効果を持ちます。ただそこにいるだけで緩衝材になるのです」
次に彼らとアスファイ村へ向かった。
住民のファドル・アワド(39)は5日間拘束されたばかりだった。暖かい日にもかかわらず、彼は長い茶色のコートと黒い帽子を身に着けていた。
家族や近所の人々も集まり、皆が輪になって座るとアワドは拘留中の体験を語った。
「房は金属製の床で窓は無く、マットレスも毛布もありませんでした。12人と同房でトイレとシャワーは合わせて1日10分。朝食と昼食はパン1切れと卵1個。毎朝、看守が来ると全員が膝をつき、額を床につけ、頭に手を置かなければなりませんでした」
そして彼は静かに言った。「5日間が5年間のように感じられました」
まるで聖書の一場面のような光景
最後に訪れたのはマガイール・アル=アビード。
何世代にもわたり人々が洞窟住居で暮らしてきた集落である。年長者のカイェド・ウワハが私たち一行を迎えてくれた。私たち客人は靴を脱ぎ、大きな洞窟の部屋に上がった。
壁沿いにはクッションが並び、ソファ代わりになっている。隅では幼い男の子が眠っていた。すると突然、少年が洞窟内に走り込んできて叫んだ。
「来たぞ!」
全員が外へ飛び出した。食事を準備していた女性たちも出てきた。そして、そこで見たものは、「まるで聖書の一場面のような光景」だった。
2人の入植者(ロバに乗った男と、その横に立つ女)が村を通り抜けていく。彼らは周囲を気にする様子もない。村人たちは黙ってその様子を見守っていた。
ウワハは言った。「今回は二人だけでしたが、もっと(人数が)多い時もあります。何もしなくても怖いのです。私たちはお互いを信用していません」
やがて妻や娘たちが鶏肉と野菜と米を盛った大皿を運んできた。皆で一つの皿を囲んで食べた。そして夕暮れが谷に降りていった。
村の長老はため息をつきながら言った。「入植者さえいなければ、ここは本当に素晴らしい場所なのです」
ショハムとシャニは、暗くなった後アル=アドラを自宅へ送り届けることにした。
帰り道、二人はイスラエル社会について語った。
「社会の右傾化・硬直化は明らかです。しかし、それでも希望はあります。平和共存を信じているイスラエル人は他にもいます。ただし彼らは目立ちません」
シャニは説明する。「みんな疲れているのです」
そして少し間を置いて付け加えた。「それに、多くの善良な人たちは海外へ移住してしまいました」
その後、一行はパレスチナ人の村ウンム・アル=ヘイルの近くを通った。隣には入植者の前哨地がある。
その道路に大きな岩が置かれていたので、ショハムとシャニは車を降り、それをどかし始めた。すると前哨地にいたユダヤ人の子どもたちが遠くから叫んだ。
「出ていけ!家へ帰れ!」
その言葉に対し、シャニは負けずに叫び返した。
「私は家にいるんだよ!」