アフリカの障害者支援
アフリカのモザンビークで障害があっても無くても安心して生活できる社会を作りたい!
みんなの応援コメント
naho.ume
2024年10月13日
せっきーさんの熱意、素敵です! モザンビークの皆さんのより良い人生につながりますように!
こばち
2024年10月13日
少しでも力になれば幸いです
FOR GOOD
プロジェクト実行者が支援金を全額受け取れるよう、支援者さまからのシステム利用料(220円+決済手数料5%)により運営しています。
リタさん(障害当事者の母親)のインタビュー
2024/9/5 10:35
リタさんは幼稚園の主に給食関連を担当してくれています。
知的障害のある息子さんのレオナルドさん(25)と幼稚園で一緒に働いています。
レオナルドさんは、ポルトガル語で日常会話は可能ですが、読み書きや計算はできません。
最初はリタさんに働いてもらうつもりはありませんでした。レオナルドさんに働いてもらうことにしたら彼が一人では通勤できなくてリタさんも付き添いで来てくれていました。なんとなく掃除などを手伝ってくれていたのですが、しばらくして給食を担当していた方に辞めてもらうことになり代わりにリタさんにお願いすることになった次第です。
このインタビューで料理の研修を受けていたことや工場の食堂で働いていたことを知りました。毎日その日の給食をツイッターとFacebookに投稿していますが、彼女が料理してくれたものです。
マカロニ入りのスープをよそっています
彼女のライフストーリーを通して、モザンビークで障害を持った子どもを育てるというのはどういうことなのか雰囲気が伝わればよいなと思っています。またモザンビークの人たちのことを少しでも身近に感じてもらえると本当にうれしいです。
以下、インタビュー内容です。
1975年にガザ州というマプトの少し北の地方で生まれました。母親が妊娠中に両親が離別し、生後すぐに首都マプトの母方の祖母の家に預けられました。祖母には12人の子どもがいて彼らを兄弟として育ちました。たくさんの兄弟に囲まれて末っ子として非常にかわいがられました。成長するまでは祖母のことを母だと思っていました。
モザンビークの地図です。リタが生まれたガザ州はマプトのちょっと北にあります。
私たちは一番南のマプトで活動しています。
父親が自分を認知しなかったために市民登録が遅れて小学校へは10歳ごろから通い始めました(通常は6歳から小学校に入学します。父親が認知しなかったために市民登録が遅れるというのはあまり聞いたことがないです。私が知らないだけかもしれませんが)。
10歳ごろに同じく首都のマプトに住んでいた父が私を引き取ることになってその際に認知され市民登録が完了しました。父の家にも兄弟がたくさんいて新しい家族が増えてうれしかったことを覚えています。
15歳からは近所の縫製工場に職を得て働き始めました。ミシンで様々な制服を縫う仕事でした。5年ほど勤めましたが工場は経営不振で閉鎖してしまいました。そのころ知り合った方と一緒に暮らし始めました。今の夫です。彼は水道局に勤めており水道メーターを見て料金を計算する作業を担当しています。
縫製工場が閉鎖してからは夫の勧めで料理の研修を受けることになりました。1年のコースで、修了後はフランスで3年間インターンとして働く権利をもらえたのですが当時すでに子どもがおり夫がフランス行きに賛成しなかったため断念しました。今でも少し心残りです。
料理の研修を修了してからは、工場の食堂で働き始めたのですが妊娠による体調の悪化ですぐに退職しました。
それ以降はこの幼稚園に来るまでは家で主婦をやっていました。
リタが作ってくれたパスタと魚のフライです
モザンビークではパスタは柔らかくなるまでゆでて提供されます
子どもは5人でレオナルドは3番目の子どもです。
レオナルドは歩き始めがとても遅かったです。3歳か4歳のころに病院へ行くと知的障害があると診断されました。レオナルドはなぜか医者に気に入られて週に2回のリハビリとセラピーを受けることになりました。多くの子どもはそうしたサポートが得られないのですが、なぜレオナルドが選ばれたのかはよく分かりません。病院の待合室で同じように障害児を持った親と会話をするようなことはありましたが当事者団体の紹介などはなかったです。
小学校入学の年齢になり近所の公立の学校へ入学しました。5年目までその学校に通っていましたが、読み書きや計算は全く理解できなかったようです。5年次の試験で留年しました(5年から6年に上がる際に進級試験があります)。学校から薦められて特別支援学校へ転校したのですが、数か月ほど経ってから、特別支援学校の校長先生から「レオナルドがより障害が重い子どもたちのマネをしている。彼にとってよい影響がないようだ」と言われて元の学校へ戻されました。それから今年、幼稚園で働き始めるまで(25歳まで)小学校に通っていました。家にずっといるよりも授業の内容は分からないにしても学校に来て友達と遊んだりした方がよいだろうという学校の配慮です。
大工や電気工事などの職業訓練の機会を探しはしたのですがいかんせん読み書きや計算ができないので受け入れてもらえませんでした。結局25歳まで小学校に通っていました。
幼稚園の仕事は非常に気に入っています。子どもたちと働くことはとても楽しいです。レオナルドも以前よりも元気になったと思います。家族を支えるためにも元気に働き続けたいです。
リタさんとレオナルドさんから感謝のメッセージです
インタビュー終了
今回のインタビューを通して私自身非常に勉強になりました。
都市化の促進によって障害者の自立支援の重要度が高まっている点
セーフティネットとしての家族の重要性
学校に対する信頼の強さ
といったことに気付きました。
日を改めて話を深堀りしてみたいと思います。
聞いてみたい、知りたいということがあればお寄せください。
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