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アートと社会をつなぐ挑戦!ポートランドで学ぶソーシャル・アート実践




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2025/6/4 18:30
【イベントレポート②】MFA Gallery Talks ──問いと関係性から立ち上がるアートのかたち

2025年6月2日、この春、ポートランド州立大学のMFA Art and Social Practiceプログラムを修了予定の学生による「MFA Gallery Talks」が、キャンパス内のJordan Schnitzer Museum of Artで開催されました。本イベントでは、Midori YamanakaさんとManfred Peralesさんの2名が登壇し、それぞれのソーシャル・プラクティスとその背景にある思考の歩みを発表しました。
冒頭ではプログラム・ディレクターのLisa Jarrettさんが登壇し、トークは1人あたり20分(プレゼン10分+質疑応答10分)のフォーマットで進行されること、そして「完成された作品を見せる場ではなく、プロセスや問いを共有する場である」と説明しました。
🌸 Midori Yamanaka|問いとともに歩む、定義なき実践のなかで
Midori Yamanakaさんは、「あなたにとってアートとは何ですか?」という問いかけから自身のトークを始めました。このシンプルだが根源的な問いに、会場からはさまざまな声が寄せられました。
“It’s just an excuse to make community.”
(それは、コミュニティをつくるための、ただの言い訳にすぎません)
“I think it is like its own language, kind of universal language, emotional language, and yeah, it is in order to go beyond yourself.”
(アートは、それ自体が独自の言語のようなものだと思います。ある種の普遍的な言語であり、感情的な言語でもある。そして、自己を越えていくためのものです)
“Art tends to be that, which doesn’t have to be practical in a useful sense.”
(アートはしばしば、「実用的に役立つ」という意味での有用性を求められない領域にあるものだと思います)
このような多様な回答を経て、Midoriさん自身の芸術観の変化について語りはじめました。もともと彼女は、職業に結びつく実用的なスキルを求めてグラフィックデザインを学び、「アートを学ぶ意味が分からなかった」といいます。
“Why do people study art, which doesn’t take you anywhere?”
(人は、どこにも連れていってくれないようなアートを、なぜ学ぶんだろう?)
“I didn’t get it. That was who I was years ago—but I’m here. So what happened to me?”
(当時の私はそれが全く理解できなかった。でも今、私はここにいる。じゃあ、一体私に何が起きたんだろう?)
この疑問と向き合うなかで、彼女は「無意味だと思っていたもの」にこそ価値があると気づいていきます。
“Art to me is discovering something that I undervalued, or I thought the things are useless.”
(アートとは、かつて自分が価値がないと思っていたもの、無意味だと思っていたものを再発見することだと、今は思います)
この気づきが、代表作《What is your name?》の出発点となりました。このプロジェクトでは、参加者と名前にまつわる記憶や文化的背景を語り合い、その名前をMidoriさんが筆で記します。7歳から続けてきた書道の経験が、他者との対話を促すメディウムとして再発見されたのです。
Midoriさんは、ソーシャル・プラクティスという定義の定まらない領域にこそ、自身の居場所を見出したと語ります。
“Social practice is not something with a fixed definition. That’s why I felt at home in it—because I could keep asking what it meant to me.”
(ソーシャル・プラクティスには決まった定義がない。だからこそ、私はそこに居場所を感じた。自分にとってそれが何なのかを問い続けられるから)
この実践は、美術館での展示においても独自の問いを生み出します。《Origami Garden》では、参加者が同じ素材・手法で折ったOrigamiを展示。Midoriさんは、活動の「記録」ではなく「そこにいた人々の痕跡」を見せたいと考えました。
“What I want to show is not a record of the activity, but a trace of the people who were there.”
(私が見せたいのは、活動の記録ではなく、そこにいた人々の痕跡なのです)
質疑応答では、King School Museum of Contemporary Art(KSMoCA)での取り組みも紹介されました。Midoriさんは、シャネルという小学生とともに、日本の昔話『桃太郎』を再解釈するプロジェクトを行い、暴力的な構造をもつ原作を、より平和的で思いやりにあふれた物語へと書き換えました。その中でシャネルは、自身の視点を反映させ、「黒人の桃太郎」という新たなキャラクターを登場させました。
“Creating with children and reinterpreting stories together—those were the moments I truly understood what social practice could be.”
(子どもと一緒に物語をつくり直す。その体験を通じて、私はソーシャル・プラクティスが何であるかを実感しました)
このプロジェクトは絵本として結実し、「子どもとともに創造すること」「文化を交換し、再解釈すること」が、Midoriさんにとってソーシャル・プラクティスの本質であることを再確認する契機となりました。
🌍 Manfred Perales|孤独と移動から生まれる、会話のアート
Manfred Peralesさんは、静かに、しかし核心を突く問いを観客に投げかけながらトークを始めました。
“Why do we make art?”
(私たちはなぜアートをつくるのか?)
この根源的な問いは、Manfredさん自身の創作の出発点でもあります。彼はコスタリカ出身で、パンデミック中にアメリカへ移住しました。家族や友人もおらず、文化や言語の違い、距離的な隔たりによる孤立の中で始めたのが、スマートフォンを使ったセルフビデオの記録でした。
やがてこの行為は、日々の独白、風景の断片、誰かに向けた言葉にならない思いなどを綴る《Archive of Loneliness(孤独のアーカイブ)》というプロジェクトに発展していきます。彼にとってこの映像は、自分自身との内なる対話であり、他者との関係を再構築する試みでもありました。
“The video is not the art—the conversation it starts is the art.”
(映像そのものがアートなのではない。そこから生まれる会話こそがアートなんです)
このプロジェクトを通じてManfredさんは、孤独という個人的体験を社会へと開き、他者との共有や対話を通じて関係性を紡ぎ出していきました。やがてこの実践は、移民や高齢者、地域の学生や企業など、様々な人々と協働するプロジェクトへと広がり、ドキュメンタリー映像、ワークショップ、テレビ番組のような公共性の高いフォーマットへと展開していきます。
“Trust, consent, and even conflict—these are all part of the work. Relationships are not separate from the artwork; they are the medium.”
(信頼、合意、時には衝突でさえも、すべて作品の一部です。関係性は作品と別のものではなく、それ自体がメディウムなんです)
Manfredさんにとって、ソーシャル・プラクティスとは「関係性そのものを扱うアート」であり、作品は鑑賞の対象ではなく、関係性を育む「場」として機能するものだといいます。
質疑応答では、「ソーシャル・プラクティスは教育になりうるか?」という問いが投げかけられました。それに対して彼は、自身のプロジェクトが「教えること」から「共に学ぶこと」へと変化していった経緯を語りました。
“Education in social practice is not top-down—it’s horizontal. The learning happens in the surprises, the shifts, the moments you didn’t expect.”
(ソーシャル・プラクティスにおける教育は、上から与えるものではなく、水平な関係のなかにあります。学びは、驚きや変化、予期せぬ瞬間のなかにあるんです)
さらにManfredさんは、自らが「常に学ぶ者である」と強調し、プロジェクトを通じた相互作用の中にこそ、創造の可能性があることを次のように語りました。
“I’m always learning. Every project teaches me something new—about people, about myself, about the world.”
(私は常に学び続けています。どのプロジェクトも、人について、自分自身について、世界について、新しいことを教えてくれるんです)
Manfredさんの実践は、芸術を「生み出す」手段としてではなく、「共に存在する」手段として捉え直し、孤独や移動という経験を「関係性」へと昇華させるものでした。その姿勢は、ソーシャル・プラクティスの核心を、静かに、しかし力強く体現していました。
📘 出版物の紹介
当日は、Midori YamanakaさんとManfred Peralesさんの修了に際して出版された2冊の書籍が紹介されました。
いずれも Art and Social Practice Conversations シリーズの一環として刊行されたものであり、両者のソーシャル・プラクティスの軌跡を記録すると同時に、読者との新たな対話を促すことを目的としています。
📗 Midori Yamanaka
Midori Yamanakaさんによる『In Between / その間で』は、彼女自身と9名の多様な背景を持つ人物との会話を記録した書籍です。会話は、リサーチであり、実践であり、そして、ともに築いていく特別な経験でもあるとするYamanakaさんの姿勢のもと進められています。登場するのは、アーティスト、教育者、非営利団体のディレクター、元留学生、10代の少女など、さまざまな立場から社会に関わる人々。日常の延長線上にある実践としての対話を通じて、それぞれの視点が交差し、現代における「共にあること」のあり方が静かに問われています。
📘 Manfred Perales
『Leaving Places』(スペイン語・英語バイリンガル)
『Leaving Places』は、「離れることとは何か?」という問いを起点に、アイデンティティ、郷愁、変化のプロセスを対話形式で探る書籍です。ソーシャル・プラクティス・アートの視点を通じて、世界各地の人々の「出発」「喪失」「再生」にまつわる経験が記録されています。ポートランド(オレゴン州)を舞台に展開されるこれらの対話は、場所を離れることが単なる地理的移動ではなく、自己変容に関わる出来事であることを浮かび上がらせています。
🌀 まとめ|問いと関係性のなかにひらかれるアート
Midori YamanakaさんとManfred Peralesさんによる「MFA Gallery Talks」は、アートの枠組みを超えた実践の軌跡と、その根底にある問いや関係性を丁寧に掘り下げる時間となりました。
Midoriさんは、「問いかけること」そのものを出発点に、筆文字や物語の再解釈を通じて、文化を越えた対話の場を育んできました。一方、Manfredさんは「孤独」という個人的体験を媒介に、映像や言葉を通じて他者との共鳴を試み、移動と喪失のなかから関係性を立ち上げていきます。
両者の実践に共通するのは、アートを“完成された作品”としてではなく、「ともに考え、感じ、関わるためのプロセス」として捉えている点です。そしてそのプロセスのなかで、あらかじめ定義された「アート」に従うのではなく、自分たちの問いや経験から意味を立ち上げていく姿勢が印象的でした。
アートとは何か?
誰と、どのように関わることが「つくる」ことなのか?
そうした終わりなき問いに向き合い続けるふたりの姿勢は、ソーシャル・プラクティスという実践が持つ、開かれた可能性を静かに、しかし力強く示していました。
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